この投稿を読むとわかること
バルセロナからグローバル・スムード・フローティラに合流したグリーンピースのアークティック・サンライズ号と、無線で連絡を取る武本さん(写真提供:武本匡弘さん)
2026年4月、ガザを目指す支援船団に、日本から一人の環境活動家が船長として参加しました。グリーンピースのアンバサダーでもある武本匡弘さんです。出発前、そして海の上で何を見たのか、武本さんの証言をもとに、シチリア島での準備からイスラエル軍の襲撃にあった夜、そして帰国後までをたどります。
パレスチナの今、失われている命
イスラエルによる封鎖が続くパレスチナ自治区ガザ*では今も、食料や医療が絶たれたまま、多くの命が危機に瀕しています。
*パレスチナ、ガザについて ガザとヨルダン川西岸は、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されました。1993年のオスロ合意により、ガザと西岸の一部はパレスチナ自治区となりましたが、その後もイスラエルによる占領、封鎖の下に置かれています。地中海に面したガザは、面積約365平方キロ(福岡市とほぼ同程度の広さ)に約220万人が暮らす、世界有数の人口過密地区です*。
イスラエルによる空爆にさらされたガザのリマル地区(2023年10月9日)Photo by Palestinian News & Information Agency (Wafa) in contract with APAimages, CC BY-SA 3.0,
2023年10月の戦闘開始以来、犠牲者は7万人を超えました。国連が行った分析では、身元が確認された犠牲者の約7割が女性と子どもでした。
2025年10月に停戦が合意された後も攻撃は止んでいません。ユニセフは、停戦後わずか3カ月で少なくとも100人の子どもが命を落としたと報告。さらに2026年6月には、イスラエル当局が意図的に子どもを標的にしているとする国連独立調査委員会の報告書が発表されました。
海からガザを目指す「グローバル・スムード・フローティラ」
国際社会はこの状況を止めることができていません。しかし、「このままでよいはずがない」という想いを行動に移す市民たちがいます。
海路から封鎖を破り、船で支援物資をガザへ届けるため、非暴力の市民による有志団体が結成されました。これまでも幾度となく航海が行われ、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが参加したことでも注目が集まりました。
しかし、出航した船はそのたびに公海上でイスラエル軍によって拿捕されてきました。国連の専門家らは、こうした公海上での拿捕を国際法違反であると指摘しています。
日本からガザ支援船団に参加した武本匡弘さん
2026年4月、ガザを目指した最新の船団「グローバル・スムード・フローティラ(不屈の船団、以下、GSF)」に、日本から一人の環境活動家が船長として参加しました。グリーンピース・アンバサダーでもある武本匡弘(たけもとまさひろ)さんです。
力による支配が放置される世界の状況を変えるためにGSFに参加した武本さん。出発前、そして海の上で、何を目にしたのでしょうか。その証言を紹介します。
武本匡弘さん
(写真提供:武本匡弘さん)
国際環境NGOグリーンピース・ジャパンアンバサダー、環境活動家、国際登録船船長、(公財)第五福竜丸平和協会協力会員、NPO気候危機対策ネットワーク代表
1985年 ダイビング会社を創業
1999年 NPOパパラギ海と自然の教室を設立、大学や小中高校で海の環境授業を多数行う
2015年 気候変動・海洋漂流ゴミ探査・国際交流を目的とした太平洋航海プロジェクトを開始(くわしい経歴はこちらから)
※武本匡弘さんへの講演依頼はこちらからお願いします
※以下は武本匡弘さんの体験とお話を基に構成しています
「普通の人たち」が、自分にできることを持ち寄って
パレスチナの状況を注視する中、船団への参加に興味を持った武本さんは、2026年1月から自身でローマ、ジェノバ、バルセロナへと渡り、情報収集を行いました。専門家や活動家だけでなく、一般の市民たちの間にも船団の存在が、好意と尊敬をもってよく知られていることに驚かされたといいます。
情報収集で確かな手応えを得た武本さんが応募すると、ヨットによる長期航海の経験が見込まれ、すぐに「来てほしい」と返事が届きます。武本さんは船団の出発拠点、イタリアのシチリア島へと向かいました。
シチリア島に停泊する出発前のGSFのヨットと武本さん(写真提供:武本匡弘さん)
ガザを目指す船団は、回を重ねるごとに注目を集め、2025年夏の航海では、40カ国以上から27,000人もの応募が殺到しました(選ばれたのはそのうちの約500人)。武本さんが参加した2026年4月からの航海にも、約2万人弱からの応募があったといいます。
狭き門をくぐり抜けてメンバーに選ばれた武本さんに与えられた役割は、クルーに操船の基本を教え、船長を育てること。また、出航までに、地中海中から集められた中古のヨットを、直せるだけ直す必要もありました。
それぞれの職能が、船を動かす力になる
幾度もの長距離航海の経験を持つ武本さんは、船長として船団に参加しました。しかし、そのほかのメンバーには、ヨットや船の経験を持つ参加者はあまりいませんでした。
船長ミーティング。専門家でなくともヨットや船の経験を持っていた参加者に、長期航海のノウハウなどを教えて、船長として育てることが武本さんの大切な役割だった(写真提供:武本匡弘さん)
例えば、帆(セイル)の修理を担ったのは、舞台衣装を手がける縫製業に従事する女性でした。マストによじ登って、点検や旗の取り付けをこなしたのは、柔軟かつ優れた体幹を持つプロダンサーの青年。帆には、ヨーロッパ中のアーティストの手で、美しいアートが描かれました。
電気配線を直したり、バッテリー交換を行なったのはスイス人とチュニジア人の電気工事士です。船底を点検し、貼りついた貝殻をこそぎ落としたのは、ボランティアで駆けつけたローマのダイバー3人でした。
プロダンサーの青年が、マストに登り、点検や旗の取り付けをこなした(写真提供:武本匡弘さん)
GSFに集まった人々はそれぞれの人生で身につけた技能や職能を活かして、ガザを目指したのです。
食事はすべてヴィーガンで、毎日100〜200人分が作られる大所帯です。ある日には、代々伝わるレシピのパスタを振る舞うためにシチリアのイタリアレストランから、シェフボランティアで来てくれたそうです。
アーティストによってペイントされた船体。船団のすべての船に美しい絵が施された(写真提供:武本匡弘さん)
船団の出発は陸上の協力者にもしっかりサポートされていました。
拠点の建物から、24時間体制でイスラエルから飛んでくるドローンを見張る「ワッチ」の役割を志願したのは「私は他に何もできないから、見張りをやります」と名乗りをあげたボランティアでした。
船に乗る参加者の何倍もの数のボランティアが、陸から船団の航海を支えていたのです。年齢層も幅広く、75歳の活動家が船長を務める船もあれば、22歳の舞台俳優が加わった船もあります。
「差別」「ジェンダー」3週間の出航前レクチャー
出航前の3週間、シチリア島のGSF拠点では毎日レクチャーが行われていました。スマートフォンの持ち込みも録音も禁止のなか、行われたのは単なる安全講習ではありません。
最初のレクチャーは「差別」についてでした。
人種の違い、文化の違い、宗教の違い、言葉の違い、食べ物の違い。陸上からのサポートを行う人をあわせた1,000人もの人間がひとところに集まり、寝食をともにすれば、否応なく個人の違いが日々の中に現れてきます。
そうした違いが優越感や違和感、さらには差別に発展してしまうと、最終的には暴力や争いへとつながる可能性がある。その構造を、基礎から学び直す時間でした。
出航前に行われたレクチャーの一幕(写真提供:武本匡弘さん)
その次に半日かけて行われたのは「ジェンダー」についての講義です。戦争と性暴力の関係、男性支配の構造が他国への支配につながっていく歴史について学びます。
武本さんはジェンダーの講義での学びを、政治や気候変動の問題ともつながる重要な視点として受け止めました。
「世界は見放した」パレスチナ人青年の言葉
その上で船団が何より重視していたのは、パレスチナ人当事者から直接話を聞くことでした。
武本さんが強く記憶しているのは、24人もの家族、親戚をイスラエル軍に殺害されたパレスチナ人の青年の言葉です。
シチリア島で出会ったパレスチナ人の青年と武本さん(写真提供:武本匡弘さん)
彼は、2024年にすべての身寄りを亡くし、「世界はもうパレスチナを見放したんだ」と絶望したといいます。
しかし、ガザを目指す船団の存在を知って、「見捨てていない人たちがいる」と感じ、救われたと語りました。そして、遠い日本から参加している武本さんに対しても、繰り返し感謝を伝えたといいます。
危険はわかっている、それでもガザへ
拘束された場合の健康管理についての講義もありました。水を与えられない状況でトイレの水を飲まざるを得ない場合には、できるだけ感染性を防ぐために、どのような飲み方をするべきかまで指導があります。
船団の一員となってガザを目指すということは、イスラエル軍に拿捕されるかもしれないということです。そして、ひとたび拘束されれば拷問や虐待を受ける可能性がある。そのことは、過去の船団の参加者の経験からも明白です。それでも、すべての参加者はリスクを承知の上でこの場所に集まっていました。
今回が二度目の参加となる参加者はその理由をこう話したそうです。「だって、毎日子どもが殺されているのを黙って見てはいられない」
グローバル・スムード・フローティラの航海
ようやく出航の準備が整い、バルセロナから来たチームも合流し、80隻近くの船が、一斉にガザへと向かう航海の始まりです。
武本さんが船長として指揮を任されたのは、船齢25年のイタリア籍のヨット「ビアンカ号」でした。行程は約1,100海里、およそ2,000キロ、ヨットでは長旅になります。
バルセロナから合流した船とあわせ、80隻近くの船が一斉にガザを目指して出航した(写真提供:武本匡弘さん)
出航後、地中海の穏やかな航海が続く間は、まるでバケーションのようだったと武本さんは振り返ります。
出航した初日の夜、夕日を見ながらの食事(写真提供:武本匡弘さん)
それでも、みなに「キャプテンマサ」と呼ばれ、船長を務める武本さんには多くの仕事があります。
クルーたちに航海術を教える忙しい日々です。出航日が遅れたこともあって、ガザまでの行程の途中で離脱しなければならないことがすでにわかっていました。そのために、次期船長を育てる必要もありました。
クルーたちも武本さんが船を降りた後、自分たちで航海を続けられるように必死で勉強してくれたといいます。
クルーに操船を教える武本さん(写真提供:武本匡弘さん)
ヨット上では、イスラエル軍に襲撃された時のシミュレーション訓練も何度も行われました。
「ライフジャケットを着て、救命ボートを点検して、船内にあるナイフや包丁など、あらゆる武器になりそうなものを全てバケツに集め、目立つ場所に置く」
襲撃を受けた時の行動と、攻撃の意図を持たないことの示し方が、あらかじめ決められていました。
グリーンピースのアークティック・サンライズ号の活躍
グリーンピースのアークティック・サンライズ号はバルセロナから船団に合流していました。その役割は、安全な航海の技術支援です。
アークティック・サンライズ号は、どのようにGSFの航海をサポートしていたのでしょうか。
バルセロナからグローバル・スムード・フローティラに合流したグリーンピースのアークティック・サンライズ号と、無線で連絡を取る武本さん(写真提供:武本匡弘さん)
ガザを目指す航海自体が大きなリスクをともなうものです。しかし、この船団は、さらにほぼすべてのヨットが、急遽仕立て直した中古船で、乗っているのはほとんどが経験のない素人です。
そんな中、海の現場を知り尽くしたプロフェッショナルが運航するアークティック・サンライズ号の技術支援には「非常に助けられた」と武本さんは話します。
グリーンピースのスタッフは、アークティック・サンライズ号からゴムボートを出し、船団のヨットの間を朝から晩まで行き来し、要請された物資や必要な部品を届け、時には出たゴミまで回収していきます。
必要物資や船の部品を届けにヨットの間を行き来するグリーンピースのゴムボート(写真提供:武本匡弘さん)
中でも、ヨットからヨットへ荷物や人を受け渡す作業では、グリーンピースの経験が光りました。
受け渡しは、安定性がなくなり距離のロスも出てしまうため、両船ともが同じ速度で並走しながら行うのが理想です。
ただ、経験のないクルーが相手の場合にはたいていエンジンを止めたり、帆を降ろしたりする必要があったのだそう。
しかし、何も言わずとも、決まった出力でぴたりと船体を寄せてくれるグリーンピースのボートとは、帆を張って走りながら正確に物資を受け渡すことができました。
同じ速度で走り、武本さんが乗るビアンカ号に船体を寄せ、物資の受け渡しをするグリーンピースのスタッフ(写真提供:武本匡弘さん)
また、ビアンカ号の帆が破れるという思いがけないアクシデントの際にも、アークティック・サンライズ号に積んであった予備の帆を使って、無事に張り替えることができました。
「さすが、海から人を助けに行くっていうのがグリーンピースの始まりですからね」
武本さんはそう話します。海からの抗議行動、海からの救助、グリーンピースがこれまで世界中の海で重ねてきた活動の蓄積が、ガザを目指す航海の中でもしっかりと活かされていました。
イスラエル軍による一度目の襲撃
4月29日の夜、ガザまで1,000キロ以上を残し、ギリシャ沖公海を航行する船団の上空を、いつものようにイスラエルのドローンが飛んでいました。
しかし、その日は数がいつもと違っていました。武本さんは「今日は多いな」と感じていたといいます。
午後8時半ごろ、船首で見張りをしていたクルーの声が響きます。
「襲撃!」
武本さんが振り向くと、左手200メートルほど先に、サーチライトを照らす高速ボートの一団が見えました。武装した兵士たちが乗っています。見る間に仲間たちの船に炎があがりました。
武本さんが操船しながら夢中で撮った襲撃時の写真(写真提供:武本匡弘さん)
兵士たちが何かを撃ち込み、帆に火が放たれたようでした。帆を燃やしてヨットの動力を奪い、乗り込んでエンジンを破壊するという戦略が取られていたと考えられます。
武本さんは咄嗟に舵を切り、ギリシャ領を目指して全速力で逃げながら、仲間に無線でメーデー(SOS)コールを発するよう指示しました。しかし、ギリシャ沿岸警備隊からの応答はありませんでした。
暗闇の中を必死に逃げた10時間
武本さんらは夜中10時間にもおよんで船を走らせました。そして、翌朝の5時半ごろ、ようやくギリシャ領海内にたどり着きます。
恐ろしい夜がしらじらと明け始めた頃、朝もやが少しずつ晴れるとともに、武本さんの目に見えてきたのは、無事に逃げ切ることができた他の仲間たちの船の姿でした。
空が白み、朝もやが晴れると、水平線に逃げ切ることができた仲間たちの船が見え始めた(写真提供:武本匡弘さん)
一隻が近づいてきます。大きな声が響きました。
「おはようございます! キャプテンマサ!」、武本さんが教えた日本語でした。
武本さんが操船についていろいろと教えていた船長の船が近づき、「おはようございます、キャプテンマサ!」と大きな声が響いた(写真提供:武本匡弘さん)
互いの無事を確かめ合いながらも、それは手放しの喜びとは違いました。
襲撃にあった船は? 誰か拿捕されたのか? 情報を交換し合いながら、その時点では無事を確認できた人たち以外の安否はわからなかったのです。
誰からともなく「Free, free, Palestine! (パレスチナに自由を!)」と声が上がります。
悔しさと悲しさ、怒りの入り混じった叫びが、残った船の間で何度も何度も繰り返されました。
公海上での違法な襲撃
その夜の襲撃で、船団のうち22隻が拿捕され、175人が拘束されていました。思いもよらない襲撃が起きたのは、ギリシャ、クレタ島沖の公海上でした。
公海はどの国の主権にも属しません。国連海洋法条約のもと、公海を航行する船を取り締まることができるのは、原則としてその船の旗国(船舶が登録され、法的な船籍を置いている国)だけであると定められています。
クレタ島沖の赤い×印が最初の襲撃があった場所。拿捕されなかった船団は一旦クレタ島の湾に避難し、トルコに寄港し、ガザへ向けて出発し、キプロス島沖の赤い×印の場所で二度目の襲撃にあった(提供:武本匡弘さん)
公海において、民間船に他国の軍が乗り込み、船体への攻撃や差し押さえ、乗員の連行などを行うことは、この原則を大きく逸脱しています。
国連特別報告者のフランチェスカ・アルバネーゼ氏は、今回の襲撃を受けて「国境なきアパルトヘイト」という言葉で激しく非難しました。
この夜の襲撃は約6時間にもおよんだといいます。後に武本さんに届いた報告によると、拿捕された仲間たちの中には、暴行を受け鼻や顎、肋骨を骨折した人もいました。
およそ40人がギリシャの病院に搬送されたといいます。みな、武本さんが出航前からともに過ごしてきた仲間でした。
「マサ、このままだと帰れなくなる」
クレタ島の岸に避難してからも気を抜く暇はありませんでした。対岸には、ギリシャ警察と、モサド(イスラエル諜報特務庁)と思われる人の姿が見えています。
上空をドローンが飛び交う中、夜間も交代で見張りを続けます。
そんな中、武本さんには決断のときが迫っていました。日本での予定のために、出発前から決まっていた帰国日が近づいていたのです。
当初はトルコまで航海して引き継ぎを終える計画でしたが、もう時間が残されていませんでした。クルーたちに「このままだと帰れなくなる」と促され、武本さんは勉強用の書籍などの私物を処分し、着の身着のままの上陸を決意します。
クルーの一人がその場でどこかへメッセージを送ると、飛行機の時刻が知らされ、すぐに翌朝4時半にゴムボートが迎えに来ることが決まりました。
武本さんも驚かされたというこの手配のすばやさの背景には、陸で船団をサポートする多くのボランティアの存在がありました。
移動手段を手配したり、物資を送ったり、情報をつないだりする人たちが航海を支えていました。プロジェクトへの参加は船に乗ることだけではなかったのです。
翌朝、暗いうちにゴムボートで上陸した武本さんは、木陰に身を潜め、リゾートホテルから出てきたヨーロッパ人観光客に紛れて空港へ向かい、ギリシャを後にしました。
武本さんは、そのまま日本には帰らずに、その後3日間ローマにとどまり、クルーたちに向けて、朝から晩まで操船の指示を送り続けたといいます。そして、船団が再びガザへ向けて出航する目処が立ったのを見届け、帰国の途につきました。
捕まった仲間たちの被害
武本さんが帰国した翌日、船団は再びガザを目指し出航しました。そして5月中旬、二度目の襲撃を受け、今度はすべての船が拿捕され、約430人の仲間が拘束されました。
帰還した仲間たちの証言や、武本さんのもとに届いた情報によると、拘束された人々は、2日間後ろ手に縛られたまま船で移送されたといいます。
政府の支援を受けて船団に参加していたインドネシアからのクルーが政府への被害状況報告のためにまとめたデータには、肋骨や頭部の負傷、性暴力の被害を含む多数の人権侵害が記録されていました。眼鏡をかけていた仲間は、一人残らず眼鏡を壊されました。
武本さん自身には直接の暴力の被害はありませんでした。しかし、襲撃の夜の強烈な恐怖、仲間を案じる思いや怒りの感情などの影響が今も残り、帰国から2カ月がたっても深く眠れない状況が続いているといいます。
船団のリーダー、ティアゴ・アビラさんと武本さん。ティアゴさんは4月29日の夜にイスラエル軍に拘束され、約10日間釈放されなかった*(写真提供:武本匡弘さん)
暴力はケガや痛みといった身体的な被害だけでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症させるなど、脳や精神にも強く長い影響を残します。しかし、GSFの仲間たちは「パレスチナの人たちが受けている苦難とは比べ物にならないほどましだ」と口にしていたといいます。
*PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは 命の危険を感じるような出来事や暴力の体験、目撃、極端なストレス、衝撃の強い経験などの後に、記憶が意思とは無関係によみがえる、神経が張りつめて眠れないなど、生活に支障をきたす症状が長く続く状態
ガザで起きていることと気候変動はつながっている
環境活動家である武本さんは、なぜガザ支援船団に参加したのでしょうか。
海路からガザを目指す取り組みには、武本さん以外にも、リーダーであるティアゴ・アビラさん、グレタ・トゥーンベリさん、武本さんの一つ前の航海に参加した日本人の安村美香子さんと、数多くの環境活動家が参加しています。国際環境NGOであるグリーンピースもまた、技術支援を行いました。
「気候危機も、平和の危機も、ジェンダー問題も、すべてはつながっている」と武本さんは話します。そして、環境破壊や戦争、力による支配の源流に「資本主義の暴走」があると指摘します。
「気候正義」を求める人々。気候変動を食い止めるため、野心的な対策を求め、数千人によるデモが行われた。スペイン、マドリード(2019年12月6日)
利益と成長を追求する行き過ぎた資本主義の仕組みが、環境破壊や気候変動を加速させ、対話や法的な合意の力を失わせています。
これは「遠い場所で起きているできごと」ではありません。日本は、現在に至るまで、イスラエルとの経済的な関係を続けてきた国の一つです。
東京新聞の取材により、日本が、ガザへの大規模攻撃が始まった2023年10月以降だけでも、合計約241億円分のイスラエル製の武器や装備品を購入していたことがわかっています(東京新聞、2026年1月9日)。
防衛省は長きにわたってイスラエル製の攻撃用ドローンの導入を検討してきました。約2年におよぶ市民の抗議*があり、2026年2月の入札ではイスラエル製の採用が見送られました。しかし、導入計画はなお続いており、市民が反対を続けています*。武本さんもこの抗議に参加してきました。
また、2026年7月には、経済産業省がイスラエルの半導体大手タワーセミコンダクターによる富山県と新潟県を拠点とした6,000億円超の投資計画を認定しました。計画には、最大約1,600億円の日本政府による助成が含まれています。
武本さんは「国際社会がイスラエルの不処罰を続けてきたことが今の事態を招いている」と指摘します。ガザへの攻撃と封鎖が続く中で、イスラエルとの取引を続ける日本の姿勢は、暴力を容認するというメッセージになりかねません。
知ることの先に連帯がある
日本では、パレスチナで起きていること、そしてGSFなどの海路からガザを目指す取り組みについてよく知っているという人は多くありません。それでも武本さんは「ちゃんと知らなきゃ、という人が日本にもいる」と感じていると話します。
帰国した武本さんのもとには、GSF参加の体験について多くの取材があり、地方紙を含め16社ものメディアに記事が掲載されました。そして、これまで環境活動や気候変動の講演で全国をまわってきた武本さんに、現在GSFでの体験をテーマにした講演依頼が数多く届いています。
「知ることの先に連帯があり、それは希望になる」。武本さんは力を込めて話します。
武本さんからのバトンをどう繋ぐのか
武本さんはこれまでに、子どもから大人まで100名以上の環境活動家を育ててきました。
その中の一人だった藤沢市の小学生(当時小学4年生)は、世界で起きていることを知り、学校の給食で出された大好きなオレンジジュースのパックの裏に「イスラエル産」と書かれているのを見つけました。
「多くの子どもを殺している国のジュースを飲みたくない」
彼女は、担任の先生、給食室の職員さん、校長先生に相談しました。しかし、それでは解決しなかったため、次は4人の賛同者を集めて「イスラエル産のものが含まれる商品を買うことは虐殺を間接的に支援することになる」と、藤沢市長に宛てて陳情書を提出しました。
その結果、条例に基づいて市長と教育長から返答を受け取り、その後、イスラエル産のオレンジジュースは給食に出ていないといいます。
武本さんが伝え続けてきたことを、彼女は自分で考え、行動し、証明しました。
「声をあげれば、変えられる」
「行動、正義、希望」というメッセージを掲げるグリーンピースのレインボー・ウォーリア号。ブラジル、ベレン(2025年11月5日)
武本さんが行動とともに示すのは、平和も、環境も、すべてがつながっていて、戦争も環境破壊も、人が起こしたことは人が変えられるということです。
専門家でなくても、船に乗れなくても、日本からでも、一人ひとりにできることがあります。
起きていることを知り、「このままでいいわけがない」と考えた人が行動する仲間になります。この記事を読んでいるあなたが希望の始まりになるかもしれません。
※武本匡弘さんへの講演依頼はこちらからお願いします。
