ウーはこの決断の理由を、TikTok禁止問題をめぐるストーリーが、中国的というより、いかにも“米国らしい”ものだったからだと説明する。ただし、公平を期して付け加えると、ウーの度重なる依頼にもかかわらず、TikTokが一貫して協力を拒んだことが、作品の語り口に少なからず影響したことは間違いない。
「この映画は、多様な個性をもつ米国人がこの問題をめぐって意見を交わす様子を描いたものになりました。語られているのは、TikTokが実際に何をしたか、何をしなかったか、ではありません。TikTokがしたこと、しなかったことを、米国の人々がどう捉えているかが描かれているのです」とウーは言う。
中国企業が所有するサービスであるという政治的な理由により、TikTokは初めから“嫌われ者”だった。しかし、米国政府はこの動画アプリが何らかの具体的な害をもたらし得ることを、法廷で立証しようとはしていない。それよりも、いかに言論の自由と国家の安全保障とのバランスを保つかが裁判では重要視されたようだ。いろいろな意味で、TikTokは米国に暮らす多種多様な人々にとって、ソーシャルメディアや子どもの安全、偽情報、過激思想に対する不安を投影する格好の対象となったに過ぎない。
政治が真実に勝るとき
TikTokに関するドキュメンタリー映画の制作を決めたとき、ウーは法の原則について議論を展開するマニアックな作品をまたひとつ生み出すことになるだろうと考えたという。ハーバード大学のアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)に関する最高裁訴訟を扱った自身の過去作によく似た映画になると予想していたのだ。しかし、TikTokをめぐる最高裁での審議が決着した時点でウーはふと考えたという。「この一件はこの先どうなるのだろう、と考え始めたのです。なぜトランプは、自らの政治資本のいくばくかを犠牲にし、共和党の盟友たちの怒りを買ってまで、あれほど熱心にTikTokを救おうとしたのか、と」
本作の主役のひとりであるセクストンも同じ疑問を抱いていた。彼女はシングルマザーに育てられた生い立ちや、妊娠中に仕事を失った経験を語ることでフォロワーを増やしたインフルエンサーだ。米国でのTikTok存続を目指して奮闘した末に、どうやら最も強力な援軍となったのは自分が猛烈に嫌うトランプ大統領だったらしいと悟ったセクストンは、映画の終盤で自らの闘いに冷めた口調で疑問を投げかける。結局のところ、重要なのはワシントンで繰り広げられる政治の駆け引きだけだったのかと。
セクストンの心境の変化を映像に収めたのは、熟慮のうえでの決断だったとウーは言う。「彼女の言葉を伝えることで、躍起になってソーシャルメディアを規制しようとする人々に警鐘を鳴らしたかったのです。そうした規制の裏には、金銭や権力、政治的な事情を動機とする多くの判断があったはずです」とウーは言う。「インターネット上の言論の自由や『思想の自由市場』といった理念が守られることを、わたしたちはいまも望んでいるのでしょうか。このことを多くの人によく考えてほしいのです。一連の議論を通じて感じるのは、わたしたちはこうした理想を手放しつつあるということです。そして、その変化は誰も気づかないほど緩やかだったのです」
(Originally published on wired.com, translated by Mitsuko Saeki, edited by Mamiko Nakano)
