アジア市場は、日本企業の今後の成長を左右する最重要エリアのひとつである。しかしその一方で、アジア各国の市場環境は、たとえ隣国であっても大きく異なり、文化的・社会的背景の多様性が日本企業の進出における高い障壁となっている。こうした状況を踏まえて発足したのが、シンガポール・タイ・インドネシア・ ベトナム・マレーシア・フィリピンの6ヵ国を代表するPRストラテジストが結集し、日本企業のアジア進出を支援するコレクティブネットワーク(専門家組織)「PR Collective Asia」である。

参考:アジア市場におけるPR戦略の専門家組織「PR Collective Asia」発足

 本連載は、PR Collective Asiaを構成するPRストラテジストによるリレー形式で展開する。各執筆者がこれまで手がけてきたコミュニケーション戦略を振り返りながら、各国の文化・宗教・商習慣・メディア構造といった特徴を紹介する。3回目となる今回は、アジア全域での展開を目指すブランドにとって、最も魅力的な「実験市場」のひとつとして知られるマレーシアに注目する。

 執筆を担当するのは、マレーシアを中心に、25 年以上にわたって戦略的コミュニケーションおよびイシューマネジメントを専門とする PRストラテジスト アンディ・シー・テオン・レン氏。マレーシアにおいて韓国・中国ブランドが強固なポジションを確立している現状を伝えるとともに、AIが急速に普及する環境下で日本ブランドがとるべき戦略について論じる。

 

多くの海外ブランドは「マレーシアの大半」を取りこぼしている

 マレーシアは、アジア全域での展開を目指すブランドにとって、最も魅力的な“実験市場”のひとつである。

 その国土の中には、言語、文化、宗教、商習慣における圧倒的な多様性が凝縮されており、戦略を試し、文化的感度を磨き、アジア全体で通用するローカライゼーション能力を鍛えるための、極めて貴重な環境が存在する。

 マレーシアの観光スローガン「Truly Asia(まさにアジア)」は、単なるキャッチコピーではない。この国そのものを正確に表した言葉である。マレーシアとは、アジアという大陸の縮図が、ひとつの国境の中に凝縮された存在なのだ。

<執筆者>

Andy See Teong Leng(アンディ・シー・テオン・レン)

Perspective Strategies 創業者 兼マネージングディレクター

 マレーシアを中心に、25 年以上にわたり戦略的コミュニケーションおよびイシューマネジメントを専門とする PR ストラテジスト。世界的なPR 会社エデルマンにて、上場企業および多国籍企業を対象に広報およびブランド構築を専門にキャリアを確立。それ以前は、ボストンコンサルティンググループにてナレッジマネジメント、リサーチおよびマーケティングコミュニケーションに従事。政府機関や金融、エネルギー、消費財、不動産、インフラ分野の企業に対し、レピュテーション管理やステークホルダー対応を支援している。テイラーズ大学メディアコミュニケーション学部の客員教授も務めるほか、マレーシア厦門大学のイ ンダストリアルアドバイザーを務める。PRCA Malaysia の元会長であり、現在も同団体のエグゼクティブ・コミッティーを務めている。

  英語、マレー語、中国語、タミル語は、単なる“異なる言語”ではない。それぞれが異なる「マレーシア」への入り口であり、それぞれ独自のメディア環境、信頼関係、ビジネス倫理を持っている。

 さらに東マレーシアに目を向ければ、サバ州・サラワク州にはカダザン・ドゥスン語やイバン語をはじめ、多数の先住民族言語が存在し、また別のコミュニティと価値観が広がっている。

 北東部クランタン州のマレー語話者、ペナンの華人系中間層、クアラルンプールの英語話者のビジネスパーソン、サラワクのイバン族コミュニティ。彼らは皆「マレーシア人」でありながら、それぞれが明確に異なるオーディエンスである。つまり、それぞれに異なる戦略が必要なのである。

   
出典:123RF


 この「実験市場」としての価値は、言語や文化だけに留まらない。マレーシアは、世界的にも戦略的重要性の高い二つの分野で、国際的リーダーとして認知されている。

 ひとつ目は「ハラル」だ。イスラム教徒が購入・飲食・使用できる商品やサービスを規定する認証制度であり、マレーシアは世界でも屈指の強固なハラル認証エコシステムを構築している。ここで真に信頼されるハラルブランドとなれば、中東や中央アジアを含む広範なイスラム市場への展開にもつながる。

 二つ目は「イスラム金融」。イスラム法に基づいて運営される金融・投資システムであり、マレーシアの制度設計は世界各国で研究・導入されている。この分野への参入を模索する日本企業にとって、マレーシアは実験市場であると同時に学びの場でもある。

 しかし、多くの海外ブランドは、この市場の本当の奥深さを理解できていない。彼らは多くの場合、英語を用いた単一のキャンペーンを、首都であるクアラルンプール都市圏向けに展開する。なぜなら、その層が最もアクセスしやすいからである。

 しかし、それによって彼らは「マレーシアの大半」を取りこぼしている。そして、それこそが、マレーシアに進出する本来の意味でもある。

 

AI時代に生まれる「発見格差」

 この“言語的な盲点”は、いま新たな、そして急速に拡大する問題を生み始めている。それが、AIによるブランド発見の格差である。

 AIは、消費者がブランドや商品・サービスを見つける方法そのものを変えつつある。さらに言えば、AIは決して中立ではない。AIが表示する結果は「どの言語で質問されたか」、そして「その言語でどれだけ情報が存在するか」に大きく左右される。

 私たちはホワイトペーパー『Navigating Influence in the Age of AI: The Malaysian GEO Perspective』の調査の中で、非常に示唆的な実験を行った。

 マレーシアの国民食とも言える「ナシレマ」の名店を英語でLLMに尋ねると、結果は当然ながらクアラルンプール中心、観光客向けの店が並ぶ。

 しかし、同じ質問をマレー語で行うと、まったく別の世界が現れる。クランタンの地元屋台、ケダ州の老舗、ジョホールの隠れた名店、ペラ州イポーの歴史ある人気店など、英語圏のメディアには一度も載ったことがなくても、地元マレーシア人に長年愛され続けている店が浮かび上がるのである。

 同じ質問。違う言語。すると、まったく異なる「マレーシア」が見えてくる。ブランドにとって、この意味は極めて重大である。

 もしブランドのコンテンツやコミュニケーションが英語中心であるなら、単に一部のオーディエンスを逃しているという意味にとどまらない。マレーシア人の消費者が実際に使い始めている“AIによる発見システム”において、構造的に「存在しないブランド」になってしまうのである。

 AIを介した情報探索が今後さらに一般化すれば、ブランドがマレー語や各コミュニティ言語でどれだけ情報を蓄積しているかが、「検索されるかどうか」そのものを左右する時代になる。

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