初めまして料理芸人、Youtuber、東松山市観光親善大使『東松山應援団員』、兼業サラリーマンの藤井21(ふじい にじゅういち)です。
【関連画像】酒屋生まれ酒屋育ち、料理芸人 藤井21(にじゅういち)『純米酒 神亀』神亀酒造(埼玉)|「サケとエンタメ」まず喋りたいこの酒一本
いきなりこれだけ肩書を並べたところで結局何が何だかわからない人間だ、ということだけはわかって頂けたと思う。
なぜこんなにも肩書きが多いのか、そして一体ぜんたい何者なのか。どうしてこのサケとエンタメに行き着いたのか。それは人生のスタート、僕の生まれた瞬間から始まっている。
このサケとエンタメという集団は全員がお酒に縁の深いメンバーという異色の集団だが、そのメンバーの中でおそらく僕が“酒に触れた”のが一番早かったのではないだろうか。
前の担当の石川さんが“お酒(1升瓶ハグ)のデビューは1歳!”と書かれていましたが、僕はそれよりも1年前、生まれたその瞬間から「酒」と関わっているのだから・・・
酒屋生まれ酒屋育ち
僕は埼玉県の中心に位置する東松山市というところで生まれ、22年間そこで育ってきた。
東松山と言うと志村けんさんの生まれ故郷“東村山”とよく間違われるが、東松山は酒飲みには縁深い「やきとり」とも深いつながりがある都市だ。実は東松山市は日本三大やきとりの街のひとつにも入っている。しかも東松山のやきとりは豚肉、それも豚のかしら肉を使っている。
東松山では豚のかしら肉を「やきとり」と呼ぶのである。そこに特製の味噌ダレをぬって食べるのだがこれがまた酒に合うったらありゃしない。東松山の駅周辺には50店舗以上もかしら肉のやきとりを出す店があって・・・等々語りだしたらきりがないくらいまだまだ東松山の魅力はあるがまたそれは別の機会に。 僕はそんな東松山にある小さな酒屋で生まれた。僕の実家はいわゆる町の酒屋さんだ。
僕にとってはそこにお酒があるということは日常の一部だった
父親で三代目になる実家の酒屋は、日本酒、特に『純米酒』に惚れ込んだ父親が自身で全国の酒蔵に足を運びその目で選んだ地酒に特化したこだわりの日本酒をそえる酒屋だった。今思えば30年以上も前に最寄りの駅からは車がないと行けないような埼玉の片田舎の酒屋で、ずいぶん尖ったことをやっている店だったなと思う。
そんな片田舎の、少し尖った酒屋だったけれど、根っこのところではいわゆる「昔ながらの酒屋さん」でもあった。
店の脇にはいつも赤や黄色のビールケースがうず高く積まれていて、それを軽トラに積んで父が配達に出ていく。お取引先の居酒屋や寿司屋、食堂なんかを回って、いわゆる「御用聞き」をするのが日課だった。
御用聞きというのは、いわば昔の酒屋の営業スタイルみたいなもので、先に注文を取りに回ってから後で商品を届ける。『サザエさん』に出てくる三河屋のサブちゃんが「ちわーっす、三河屋でーす」なんて言いながら磯野家の玄関を開けて入ってくる、あの感じだ。
父はサブちゃんよろしく、軽トラを降りて店の引き戸を開けるときの「こんちわー、富士屋でーす」という声は、それにかなり似ていた気がする。
僕もよく手伝いと称して、軽トラの助手席に乗っていた。実際にはほとんど仕事らしい仕事はしてなくて、ちょっとビールケースを運んだり、店の人としゃべってる父の後ろ姿をぼーっと見ているだけだったけど、それでも幼いころの僕はなんとなく「一緒に仕事してる」気分があった。 軽トラの右側には「富士屋酒店」と大きく店名が描かれていて、反対側には「小さな酒屋に大きな浪漫」と、いかにも田舎の手作り感あふれるキャッチコピーがでかでかと入っていた。
その軽トラで町を走っていると、当然ながら目立つ。だから学校で「昨日、藤井んちの軽トラ見たわ」とか言われると、こそばゆいというかちょっと恥ずかしいような気持ちになった。特に小学生や中学生の頃なんて、まわりの家と少しでも違うってことが、ときに変にコンプレックスになる。うちは店をやってるからなんとなく他の家と違って見えるし、目立つ車で町を走るのも、そういう「違い」を強調されている気がして、素直に受け入れられなかった。今思えばあの軽トラ、むしろめちゃくちゃかっこよかったと思うんだけど、当時の自分にはそんな余裕はなかったんだろう。
両親は店に出ずっぱりのことも多かったので、学校から帰って誰もいない台所で、お腹が空いているときは自分で何か作るのが当たり前になっていた。最初は袋ラーメンだった。お湯を沸かして麺を入れて、ちょっと野菜を足してみたり、卵を落としてみたり。次第にそれが炒飯になって、冷蔵庫の残り物を工夫して炒めたり、味変にチャレンジしたりしていった。いま思えば、あれが僕の「料理芸人の原点」だったと思う。
そして僕の料理に大きな影響を与えたのが母の存在だった。母はとにかく何でも自分で作る人だった。料理のレパートリーが豊富で、お菓子やパンもよく作っていた。シフォンケーキやクッキー、チーズケーキ。季節になると各種果物ジャムなんかも手作りしていた。畑で野菜を育てては、それを漬物にして保存したり、味噌を自分で仕込んだり。わざわざ麹を手に入れて、本格的に手前味噌を作るようになったときには、この人はどこに向かっているんだろうと思った。今思えば僕は子どもの頃に市販品を食べた事がない料理が多くあったように感じる。
正月の三段お重に詰めるおせち料理も、母は毎年すべて手作りしていた。市販のセットを買うという発想は、当時の我が家にはほぼなかったように思う。
大晦日が近づくと、台所と居間は一気に年末モードに入る。石油ストーブの上には大きな鍋が乗せられ、その中では昆布巻きがコトコトと静かに煮えていた。昆布が甘く煮詰まる匂いと、醤油の焦げる寸前の香ばしさが、家中を満たしていた。
母は店番をしながら、黙々と松前漬けの準備を進める。スルメと昆布をキッチンばさみで細かく切る作業を、僕もよく手伝った。スルメの硬さに手首が痛くなったのをよく覚えている。きんとん、田作り、紅白なます、筑前煮、一つひとつに手がかかっていて、どれも丁寧に作られていた。
一年の始まり、最初に口にする一杯への信仰
年が明けて元旦の朝になると、そうして完成したおせちが三段のお重に美しく詰められ、居間のこたつの上にどんと置かれる。そしてその隣には、燗をつけた徳利が置かれていた。中身は『純米酒 神亀』だった。
父は、燗徳利を手にしながら、ゆっくりと湯気を眺めて「一年の始まり、正月に最初に口にする一杯ってのは大事なんだ。」そう言いながら徳利から燗酒を一献傾ける。温めたことで緩やかに神亀の香りが立ち上る。
「うちは神亀にお世話になってるんだから、今年もよろしくお願いしますって気持ちを込めて、こうやって最初に呑むんだ。」
その言葉は単なる習慣ではなく、ある種信仰にも似たようなものだったのかもしれない。父はよく冗談めかしたように「うちは神亀教だからな」と語っていた。
米と水と時間だけでできた純粋な酒が、父の信じる世界をそのまま映しているようだった。神亀を呑むことは、父にとって“信仰の実践”でもあったのだ。
純米酒という浪漫(ロマン)「神亀」(神亀酒造)と僕の1978年
特に父が強いこだわりを持っていた埼玉県蓮田市の銘酒「純米酒 神亀」。
神亀酒造は、通常の純米酒でもすべて2年間の熟成を経て出荷している。世に数多ある純米酒の中でも、その深い味わいと香りが他の追随を許さないと信じて疑わなかった父にとって「神亀」を扱うことは、ただの商売以上の意味があったのかもしれない。
神亀はまさに「純米酒の極み」とも言える存在で、父が心から惚れ込んでいた銘柄だった。神亀を語る上で全量純米蔵というワードは押さえておかなければならないだろう。
そもそも純米酒というのを改めて説明すると、日本酒、特に「本醸造」や「吟醸」等には、風味を整えたり、軽やかさを出す目的で「醸造用アルコール」が添加されることがある。これは日本の伝統的な製法の一部として広く行われてきたが、それに対して、「純米酒」は、米・米麹・水だけで造られたお酒で、素材と発酵の力だけで造られる、いわば“日本酒本来の味”にこだわった酒だ。そんな純米酒だけを造る酒蔵が神亀酒造だ。
神亀が“全量純米蔵”へと舵を切ったのは、1987年のことだった。
先代の専務、小川原良征さんの強い信念によって、すべての酒を純米酒に切り替えるという、当時としては思いきった決断がなされた。
遡ること38年前、日本酒業界全体がまだアルコール添加全盛の時代において、戦後初の全量純米蔵にするという選択は、まさに時代に逆行するような挑戦だった。
そして、その1987年という年は僕が生まれた年でもある。
神亀が全量純米蔵に生まれ変わったその瞬間と、自分の人生の始まりはほぼ重なっている。不思議な縁を感じずにはいられない。
そして特筆すべきもう一点。純米酒神亀の特徴として蔵で2年以上の熟成期間を経てから出荷されるという点だ。
時間と手間をかけ、神亀酒造は誠実で贅沢な時を込めた酒造りを続けている。2年間の熟成によって角が取れ、まろやかさと奥行きが増し、米の旨みがより一層引き立つ。しかも燗にしたときのふくよかな米の香りと旨味、甘味、様々な味のふくらみは、まさに神亀ならではの魅力だ。時間をかけることでしか生まれない味わいに、神亀はこだわり続けている。
そんな神亀に惚れ込んでいた父は、よく同じ埼玉の蓮田にある神亀の蔵まで足を運んでいた。
蔵に行くと父は専務と長い時間言葉を交わし、酒づくりのこと、業界のことから他愛もない世間話まであれこれ語り合っていたのだと思う。けれど、当時の僕はもちろんそんな会話の内容には興味もないしただ一緒についていっては、お茶菓子と専務がごちそうしてくれる旨い飯を楽しみにしていた。僕にとって専務は子どもにも気を配ってくれる気のいい“おじさん”という印象しかなかった。
正直に言えば、子どもにとって酒蔵というのは、エンターテインメント性に乏しい場所だった。 タンクが並び、匂いはどこか渋く、説明をされても何か面白いわけでもない。酒も飲めないし意味もわからない。今にして思えば貴重な体験だったのだがそれを当時の僕はわかりはしない。
「にほんしゅ」襲来と唎酒師資格
さて時は流れ、実家を出て東京で芸人人生を歩み始めて数年後のことだ。僕はその頃オフィス北野という芸能事務所に所属していた。その事務所ライブのネタ見せの時にオーディションに来ていた「にほんしゅ」の二人に出会った。
「にほんしゅ」というコンビ名、しかも当時すでに日本酒関係の営業仕事等を精力的にしていた二人、僕はその存在だけは知っていた。
そんな二人に話しかけたのは自分の実家が酒屋だったからだろう。話すと二人も大越酒店さんで酒屋修行をしていたという、ある種「酒屋育ち」という共通点があり、それが自然と会話の糸口となり、そこから今に至るまで二人には何かにつけて気にかけてもらっている。
余談だが、その時のネタ見せでにほんしゅさんが披露したネタが完成され過ぎていて、ネタ見せの講評をしていた先輩芸人のサンキュータツオさんから「君たちはすでに完成されているからうちに来なくても大丈夫だよ」と賞賛されていた。当時粗削りも粗削り、もはやお前らのネタは原木かくらいのレベルの芸をやっていた僕を含め事務所の若手芸人たちは、とんでもない仕上がったコンビ芸人がオフィス北野に攻めて来たと震えていた。
そんな黒船来航的な出会いから間もなくして、僕はにほんしゅの二人が唎酒師(ききさけし)という資格を持っていることを知ることになる。もちろん、言葉だけは聞いたことがあって資格の存在は知っていた。日本酒をテイスティングし、味や香りを評価する専門家・・・くらいのぼんやりしたイメージはあった。
だがしかし唎酒師というものを少し調べてみると、ただのテイスティングの専門家というだけでなく、日本酒の専門知識や販売方法、そして提供方法やコンサルティングまで含めた総合的資格だということを知った。
そしてなんの因果か、気がつけば今年の1月(2025年1月)から僕はその唎酒師資格を認定・運営する団体「SSI(日本酒サービス研究会)」で、サラリーマンとしても働くようになった。
そして運命か、「神亀」との再会
こうして、芸人をやりながら、唎酒師の知識を発信、広める立場として活動するという、まさかの兼業人生が始まったわけだ。
しかもそこであの酒と再会することに。
社員として働き始めて間もなく、セミナー用教材の中に見覚えのある酒があった。
それはあの「神亀」だった。
唎酒師には日本酒をタイプ分類する指標があり、その分類でいうところの「醇酒」という分類のお酒で、コクがあって深みのある酒の代表酒として「神亀」が使われていた。
「おいおい、こんなところで再会するのかよ」と、思わず笑ってしまった。
まさかの「時を経て」の再会。生まれたときから身近にあった酒、父が惚れ込んだ酒、自分の原点とも言える酒が、今こうして自分が関わっている現場で再び出会うことになろうとは。
この出会いはまるで子どもの頃に仕込まれた伏線が、ここで回収されたかのようだった。
久しぶりに神亀を一口吞んでみると実家にいたあの頃よりも、「神亀」の複雑な味わいがより豊かに感じられるような気がした。僕自身も時を経て熟成されたのだろうか。
あのとき、「神亀」の燗酒を飲みながら「最初の一杯が大事なんだ」と話していた父の言葉が、ようやく自分の中でも本当の意味を持ち始めたような気がした。最初の原点が今につながっている。
この「一杯」を大事に、‟サケとエンタメ”の世界を歩んでいこう。
【藤井21のこの1本】
「純米酒 神亀」神亀酒造(埼玉県)
【味わい】
神亀酒造の定番酒、燗酒フリークでこの1本を知らない人間など存在しないと言い切れるような王道中の王道の純米酒。
ふっくらと柔らかな米の香りと旨味、甘味が感じられコックリとした味わいは温めるとさらにその良さが引き出される。熱燗、上燗、ぬる燗、人肌燗とその温度によっても香りや味わいの違いを感じられる。そして食中酒としても名高い酒で、その懐の深さはまさに“神亀教”とも言うべき信仰的な支持を集めている。どんな料理にも寄り添いながらも、決して埋もれることがない。出汁の旨味の効いた和食はもちろん、バターやチーズの洋食、そして味の濃い中華とも不思議な調和を見せる一本。
【酒蔵情報】
神亀酒造は江戸時代末期の嘉永元年(1848年)に埼玉県蓮田市で創業。米と米麹、水だけを使った純米酒にこだわり、昭和62年(1987年)に、仕込む酒のすべてを純米酒に転換し戦後初の全量純米蔵となった。
「神亀」という銘柄の由来は蔵の裏手にあった池に、天神様の化身の亀が棲んでいたという言い伝えがあり、その亀にちなんで名づけられたといわれている。現在も伝統的な手造りの製法を大切にし、米の旨味を引き出す丁寧な醸造で知られる蔵で、香りや味わいのバランスにこだわった純米酒は、地元はもちろん全国そして海外の日本酒愛好者からも高く評価されている。
(参考文献:「闘う純米酒 神亀ひこ孫物語」平凡社)
