公開日時 2025年07月28日 16:12更新日時 2025年07月28日 17:57
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平和祈念館に飾られた村出身の戦没者の遺影=6月15日、岐阜県東白川村
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共同通信
青々とした山の谷間に、月2日、計4時間しか開かれない小さな平和祈念館がある。人口約2千人の岐阜県東白川村。太平洋戦争の復員兵と遺族が設立し、村の徴兵や満蒙開拓団の歴史をほそぼそと伝えてきた。「兵士達は人を殺す為のロボットだ」。葛藤を克明につづった兵士の日記など、貴重な史料が眠る。だが来館者は月10人足らず。ボランティアの高齢化で存続が危ぶまれている。
急勾配の道路の先にたたずむ倉庫だった祈念館。昼下がり、開放された重い銅の扉を通り抜けると、窓一つない古びた館内に木の湿ったにおいが漂っていた。
入ってすぐ目に飛び込むのは、軍服に身を包む男性たちの白黒の顔写真。一軒家ほどしかない狭い館内に、村出身の戦没者約200人の遺影がずらりと飾られている。
戦後50年を前に、後世に語り継ごうと、遺族らが兵士の遺品などを持ち寄り開館した。太平洋戦争戦没者の所持品を中心に約850点が所狭しと並ぶ。召集令状を届けたかばんや、実際に着用した軍服、戦後の旧ソ連抑留生活で履いた布製の軍靴などを自由に素手で触ることができる。
中でも目を引くのが、日中戦争で戦死した東白川村出身の今井龍一さん=当時(22)=の日記だ。「お母さんのおとなしい息子だった僕はいま、人を殺し、火を放つ、恐ろしい戦線の兵士達の一人となって暮してゐます」。兵士を「人を殺す為のロボット」になぞらえ、腹部を撃たれて死亡するまでの10日間の苦悩が記されている。軍の言論統制が厳しかった時代。祈念館の運営委員大坪兼行さん(82)によると、戦争を批判的に捉えた日記の原本が残されているのは珍しいという。
太平洋戦争で父由郎さん=当時(35)=を亡くした大坪さん。1階の片隅に飾られた父の遺影を指さし「国が進むべき道を誤った結果の犠牲者だ」と話す。当時2歳で、父親の記憶は「皆無」。だが祈念館の運営を宿命だと考えてきた。
運営するボランティア18人は平均80歳代。人口の約半数が65歳以上の村で、なり手の確保は難しい。「このままだとあと数年で閉館しなくてはならない」。だが、3月のメンバー募集に手を挙げる人はいなかった。
村最後の太平洋戦争の復員兵が2年前に他界し、村内では祈念館存続への思いに温度差がある。それでも、世界中で民間人を巻き込む紛争が続く状況に「ここで展示品を手に取り、戦争の愚かさを感じてほしい」との思いは強まるばかりだ。
「『悲しいあの時代に逆戻りしちゃあかんで』と父に言われている気がする」と語る大坪さん。「国や家族の平和を願い死んでいった若者の証しを何としても残したい」