デトロイトと互角に渡り合えた名手

第二次世界大戦終結直後の数年間、米国では数多くの自動車新興企業が誕生した。ボビー・カー、プレイボーイ、ケラー、エアウェイ、カリフォルニアン、キング・ミジェット、デイビスなど、一部の人には聞き覚えもあるかもしれない。

しかし、米国の大手自動車メーカーに挑むのに必要な規模と体力を備えていたのは、伝説的な実業家ヘンリー・J・カイザー氏と、グラハム・ペイジのCEOジョゼフ・ワシントン・フレイザー氏によって設立された『カイザー・フレイザー(K-F)』ただ1社だけだった。

カイザー・フレイザーの歴史を振り返る。カイザー・フレイザーの歴史を振り返る。

この2人は大小さまざまな問題を乗り越えつつ、世界最大級の工場で、デトロイトのトップメーカーと互角に戦えるクルマを生産することに成功した。しかし、カイザー・フレイザーは、米国のビッグスリーにどのようにして立ち向かうことができたのだろうか。本特集では、写真とともに同社の興味深い歴史を振り返りたい。

戦後の混乱と諸問題

第二次世界大戦が終わった1945年、米国のすべての自動車メーカーは似たような問題に直面した。政府は、クライスラーの工場で大量生産していたシャーマン戦車など、軍需物資の生産契約を突然打ち切ったのだ。また、一般消費者向けの自動車の生産に必要な、鋼板、クロム、タイヤ、その他各種部品の慢性的な不足もあった。

終戦の直前(1945年7月25日)に設立されたカイザー・フレイザーには、さらに別の課題があった。工場を取得し、労働者を雇用・訓練し、卸売・小売の流通システムを構築し、数百ものサプライヤーと契約を結び、マーケティング計画を策定しなければならなかったのだ。新型の自動車を一から設計・開発するという難題もあったことは、言うまでもないだろう。

戦後の混乱と諸問題戦後の混乱と諸問題意欲にあふれた実業家

ヘンリー・J・カイザー氏は、道路やダムの建設で財を成した実業家だ。第二次世界大戦中、造船業に大量生産方式を導入したことで、さらなる富を築いた。カイザー造船所は、数千隻の貨物船「リバティ船」に加え、巡洋艦、補給艦、空母を米海軍向けに生産した。そのスピード感はすさまじく、ある造船所では、わずか7日間でリバティ船を1隻建造したほどだ。物事を迅速に成し遂げるこの能力こそが、デトロイトの大手メーカーに先んじて、自動車の生産を開始しようという意欲を彼に抱かせたのだ。

意欲にあふれた実業家意欲にあふれた実業家

才能あふれるセールスマン

ジョゼフ・フレイザー氏は、裕福な家庭に生まれ、イェール大学を卒業した。自動車業界に魅了された彼は、最初の仕事として時給16セントの整備士助手となった。業界内でどんどん出世し、生まれながらのセールスマンとして自動車販売店の営業職に就き、その並外れた能力が上層部の注目を集めた。1919年にはゼネラルモーターズ(GM)に移り、ゼネラルモーターズ・アクセプタンス・コーポレーション(GMAC)の設立に携わった。これは収益性の高い自動車金融部門であり、現在もアライ・ファイナンシャルとして存続している。

才能あふれるセールスマン才能あふれるセールスマン

ウィリスを立て直したフレイザー氏

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