春なれど
白(しら)嶺(ね)
の
深(み)雪(ゆき)
いや
積(つも)
り
解(と)
くべきほどのいつとなきかな――――紫式部「紫式部集」
紫式部公園は平安貴族の邸宅である寝殿造りの釣殿と庭園を再現。「源氏物語」の「常夏」の巻に光源氏が釣殿で納涼の宴を開く場面がある
越前守となった父、藤原為時に従って越前国府があった武生に来た紫式部のもとへ、都の藤原
宣孝(のぶたか)
から求婚の書状が届いた。「春に氷が解けるように、あなたも心も閉ざしていないで私に打ち解けるべきだと、ぜひ知らせてあげたい」
自治都市の誇り 息づく…今井町(奈良県橿原〈かしはら〉市)
彼女が返したのが冒頭の歌で、内容はつれない。 春にはなりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ積もり、解けるのはいつのことか。春を「知らね」と掛けて、そんなこと知らないと畳み掛けている。
武生から石川県内の白山が遠望できる。春になっても雪が解けないと紫式部は歌に詠んだ 武生からも見える白嶺、すなわち加賀の白山は古来、有名な歌枕で、標高2702メートル。4月になっても白い雪が残っている。
父、為時が執務した政庁、
国(こく)衙(が)
があったのは現在の本興寺付近と考えられ、昨年度から5年がかりの発掘調査が進められている。
寺の山主、宝田日史さん(81)は「1000年前に紫式部がここにいたとすれば夢のよう。ロマンですね」と話してくれた。
境内には紫式部の娘、
賢(けん)子(し)
が母をしのんで植えたと伝わる紅梅がある。現在の木は4代目だが、この春もピンクの花を咲かせた。
紫式部の和紙人形。貴族女性は家族以外の男性に顔を見せなかった(紫ゆかりの館で) 延喜式によれば都から越前までの行程は4日。紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)には紫式部と父、為時の「下向行列和紙人形」が展示されている。
副館長の長谷川作兵衛さん(68)が「48人の行列で紫式部は金の金具で装飾された黒い
網(あ)代(じろ)輿(ごし)
の中にいる」と示してくれた。
館の隣が紫式部公園。庭園史の専門家が作庭した寝殿造りの庭園、池のほとりの
釣殿(つりどの)
が再現されている。
公園には金色に輝く紫式部像も立つ。その視線は武生のシンボル、日野山の方を向いている。 紫式部には越前の雪が印象深かったようで、いくつか雪の歌がある。暦に「初雪」と書かれている日、日野山の雪はすでに深い。
〈ここにかく日野の杉むら埋む雪
小(お)塩(しお)
の松に今日やまがへる〉
日野山の杉が雪に埋もれるのを眺めつつ、都の小塩山の松にも降り積もっているだろうねと。心は都に向かっている。小塩山には藤原氏の氏神である大原野神社がある。 父を武生に残して紫式部は先に都に帰り、宣孝と結婚する。その時26歳前後。初婚であれば当時としてはかなり遅い。◇
紫式部
(むらさき・しきぶ)
誕生年は970年説、973年説などがある。紫式部は後世の通称で、存命中はおそらく藤式部と呼ばれた。紫は「源氏物語」の紫の上、式部は父、藤原為時の官職、
式部丞(しきぶのじょう)
による。996年、越前守になった父と越前下向。帰京は翌々年か。藤原宣孝と結婚、賢子(
大弐三位(だいにのさんみ)
)を産んだ。1001年に宣孝が没し、「源氏物語」を書き始めた。一条天皇の中宮
彰子(しょうし)
の下に出仕。他に「紫式部日記」、家集「紫式部集」。没年は14年説、26年以降説など。
文・森恭彦
写真・鷹見安浩
女神が伝えた和紙の技 紫式部の父、藤原為時は越前の行財政、司法、軍事、宗教をつかさどった。大量の公文書を手にしたはず。平安時代中期、公文書は木簡から紙に移っていた。越前国府では1500年の歴史を持つ越前和紙を使ったに違いない。
製紙法が公式ルートで日本に伝わる610年より早く、今の越前市
五箇(ごか)
地区の
岡太(おかもと)
川上流に現れた女神が紙
漉(す)
き技術を教えたとされる。
紙漉きの技術を伝えた川上御前をまつる岡太神社・大瀧神社。社殿の屋根は「日本一複雑」という
川上御前と呼ばれる女神がまつられているのが岡太神社・
大瀧(おおたき)
神社。その社殿は、破風が幾重にも重なって「日本一複雑」と称される屋根を載せている。
越前和紙の里にある卯立の工芸館で、昔ながらの紙漉き工程が見学できる
川を少し下った越前和紙の里に江戸中期の紙漉き家屋を移築復元した
卯(う)立(だつ)
の工芸館があり、職人による昔ながらの紙漉き工程が見学できる。工芸館スタッフの清水美里さん(33)が「紙の原料作りから紙漉き、乾燥まで、作業の流れが一目で分かる」と解説してくれた。
ところで、岡太川の女神から紙漉き技術を教わったのは
男(お)大(お)迹(どの)王(おおきみ)
だという言い伝えもある。後の継体天皇(在位507?~31?年)だ。
「継体大王と
照(てる)日(ひ)
の前の像」があるのが
味(あじ)真(ま)野(の)
地区。照日の前はここで王とともに暮らしていた女性という。
万葉集に味真野の歌が63首あり、それにちなんで整備された公園が万葉の里味真野苑。継体の像もその一角にある。苑内の万葉菊花園職員、大橋治さん(64)が「味真野には継体の旧跡が十数か所ある」と説明してくれた。 57歳になると継体は天皇位を継ぐため大和へ旅立つ。
結婚のため越前を去った紫式部だが、早くに夫を亡くし、中宮
彰(しょう)子(し)
に仕えて「源氏物語」の執筆を続ける。その際、彰子の父、藤原道長から紙が届くというエピソードが「紫式部日記」に出てくる。
当時、紙は大変高価な品だった。道長が光り輝いて見えただろう。道長は光源氏のモデルの一人といわれる。 ●ルート 東京から越前たけふ駅まで新幹線で3時間40分。大阪から武生駅は特急で敦賀へ、ハピラインふくいに乗り換え2時間から2時間半。 ●問い合わせ 越前市観光協会=(電)0778・23・8900、紫ゆかりの館=(電)0778・43・5013、万葉菊花園=(電)0778・27・7800、卯立の工芸館=(電)0778・43・7800[味]「三大グルメ」の一つ
越前市の「三大ご当地グルメ」とされるのが「越前おろしそば」と「たけふ駅前中華そば」、そして「ボルガライス」だ。 「ボルガライス」はオムライスの上にカツをのせた洋食の合わせ技。今は閉店した市内の喫茶店が約40年前に始め、メニューに加える店が徐々に増えてきた。なぜボルガなのか、諸説あるそうだ。 1820年創業のそば店「麺房いせや」((電)0778・22・1363)でもこれが人気メニューの一つ。「学校帰りの先生らが作ってほしいというので」と、店を切り盛りする原比那子さん(76)。ソースに一度漬けたヒレカツにオリジナルソースとケチャップをかけている。サラダ付き1050円=写真=。「越前おろしそば」と「たけふ駅前中華そば」も加えた「トリオセット」は1750円。ひとこと…説明板の通り 紫式部公園に〈春なれど白嶺の深雪~〉の歌碑があるのだが、説明板に「白山が越前市からも眺められることは、地元の人にもあまり知られていないようである」と書き添えてある。 実際、その通りだった。市の広報に電話で撮影ポイントを尋ねたら、「白山が見えるのですか」と逆質問されてしまった。
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