北海道放送
脚本家・倉本聰に「僕の人生を変えてくれましたね」と言わせた相手が、HBC北海道放送の演出家・守分寿男だった。倉本聰と守分寿男がぶつかり合いながら作り上げた北海道発のドラマを、幼かった是枝裕和はテレビの画面越しに観て育ってきたという。そして学生時代にHBCへの就職を考えていた。
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2020年10月、北海道富良野市で収録した倉本聰と是枝裕和の特別対談。HBC北海道放送が制作した番組をもとに、対談前後の取材を交えて全6回で届ける。(発言中の年齢・時点・肩書などは、原則として収録当時のもの。敬称は略)
HBC報道部:渡辺圭一
【全6回の5回/1回・2回・3回・4回・6回】
■「東芝日曜劇場を作りたい」—是枝裕和が憧れた、北海道でのドラマづくり
倉本聰との対談を前に、富良野の街を歩いた是枝裕和。早稲田大学に通っていた当時、倉本の世界観に近づこうと北海道を旅して、富良野では自転車を借りて『北の国から』のロケ地などを巡ったという。久しぶりに訪ねた富良野で、是枝が大学時代の意外なエピソードを教えてくれた。
是枝:大学4年生になって、仕事をするならテレビと映画のどっちにしようかな…という感じで、あまり真面目に就職活動を考えていなかったんですね。それでキー局を受けたんだけれど全部落ちて…ただ北海道放送(HBC)だけ受かって。入社試験で『東芝日曜劇場をやりたいんです』と伝えたんです。でもHBCの面接官から「もうドラマ制作はねぇ…営業ではどう?」と言われてしまって。営業は自分にはできないですから「ちょっと無理かな」と思って。縁があったのかなかったのかは、ちょっと分からないですが…HBCでドラマを作りたかったですよ(笑)
■HBC北海道放送が育んだ、一話完結のドラマ『東芝日曜劇場』
「東芝日曜劇場」は1956年から1993年までTBS系列で放送されていた一話完結のテレビドラマだ。TBSのほか、HBCなどの系列局も制作を担った。HBCは1958年から約150本を制作。倉本聰が脚本を手掛けた作品は『うちのホンカン』シリーズを含め19作にのぼる。『風船のあがる時』(1972年)、『聖夜』『ばんえい』(ともに1973年)、『りんりんと』(1974年)、『ああ!新世界』(1975年)、『幻の町』(1976年)など、北海道の風景の中に人間を描くドラマを全国に向けて作り続けた。
