日本最後の空襲の一つ、土崎空襲から14日で81年です。

犠牲者を追悼する式典が秋田市で行われ、参列者が平和への誓いを新たにしました。

廣田裕司アナウンサー
「こちらは秋田市の高清水地区の丘です。終戦前夜の8月14日の土崎空襲では近隣住民を含め250人以上が犠牲になったといわれています。空襲から避難できた住民は3キロも離れたこの丘まで逃げてきて、焼けていく地元を見つめていたといいます」

犠牲者を追悼する式典には、遺族のほか、地元の小中学生など約110人が参列しました。

平和への思いが込められた鐘は、戦争で使用された、砲弾の薬きょうなどを溶かしてつくられたもので、参列者はこの鐘の音とともに犠牲者を悼みました。

当時、国内最大級の石油施設だった日本石油秋田製油所が標的とされた、土崎空襲。

250人以上が犠牲となった中で、これまで名前が明らかになっているのは127人。

いまも半数近くは名前の特定ができていません。

土崎港被爆市民会議 伊藤紀久夫会長
「改めて空襲で亡くなれた方へのご冥福を祈りながら、日本最後の空襲を受けた土崎の地から“二度と戦争だけはだめ”の声を発信し続けていくことを誓い、あいさつといたします」

土崎空襲について学んだ児童・生徒も平和への思いを述べました。

御所野学院中3年 佐野友莉亜さん
「戦争は許されない。誰かを傷つけたらいけない。当たり前だ。人として動物として当たり前だ。だけど、人は時にそれを自らの手でなかったことにする。自分のために。そこまでして手に入れたいのはいったいなんなのか。国のため、地球のため、平和のためなんていう人がいる。戦って得た平和など長く続きはしない」

4歳で空襲を経験した伊藤津紀子さんは、避難した高清水の丘から見た土崎の光景を、いまでも鮮明に覚えているといいます。

伊藤津紀子さん
「真っ赤に燃えてて。うちはどうしたのかな~と思いながらもあそこで母さんとじいさんと弟と」「やっぱ戦争ってダメだ。戦争て恐ろしいことだし、みんな不幸にするなっていうことで、それを子ども達に話したりしてるけどね」

土崎空襲から81年。

参列者は、土崎空襲が永遠に日本最後の空襲となるよう、恒久平和への誓いを新たにしていました。

※8月14日午後6時15分のABS news every.でお伝えします

Share.