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■戦後81年の沖縄慰霊の日 「記憶の継承」が課題

23日、迎えた慰霊の日、沖縄戦などの戦没者24万2659人の名前が刻まれた「平和の礎」の前では…

宜野湾市民(83)
「おばさん、おじさん、81年になります。たくさんの犠牲の上に私たちは今、平和があります」

浦添市民(97)
「みんな焼けて、ない。お家もなにも。戦争はない方がいい」

この日、中学2年生の亀谷琉奈さんは、曾祖母から聞いた戦争体験をもとに、「平和の詩」を朗読しました。

豊崎中学校2年 亀谷琉奈さん
「爆撃の音が鳴り響く。(曾祖母は)恐怖と不安でいっぱいになり、右手に握った石で自分の右足を何度も何度も引っ掻く。気づけば手も足も血だらけだった。私が真実を知った時、胸が締めつけられた。

もう誰にも、愛する人の命が奪われることに怯えてほしくないから。もう二度と、沖縄の空を戦争で染めてはいけないから」

曽祖母の体験を語ることで、次世代に沖縄の戦争の記憶をつなごうとする、琉奈さん。

沖縄戦を経験した人は、すでに県民の1割を切っており、「記憶の継承」がいま、大きな課題となっています。

■「命を捨てることしか教えていない」当時、学徒隊が編成された学校では

81年前、アメリカ軍との間で激しい地上戦が行われた沖縄戦では、県民の4人に1人が犠牲となりました。

瀬名波榮喜さん(97)は、アメリカ軍が上陸する約1年前に、県立農林学校の入学試験を受けましたが、沖縄での地上戦を予期するかのような実技が課されます。

瀬名波榮喜さん(97)
「手榴弾を投げる実技が入学試験にあった。もう手が抜けそうだった。いかに良い軍人になるか」

瀬名波さんの学校は日本軍に接収され、壕を堀ったりといった訓練に加え、生徒たちに特攻を命じる学徒隊が編制されます。

瀬名波榮喜さん(97)
「肉迫特別攻撃隊という名前を付けた。背中に爆弾を抱えて、そして敵の戦車に潜り込み、自分も犠牲にして突っ込んでいく。命を捨てることしか教えていない」

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