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広島県南西の広島湾に位置する江田島。隣り合う能美島との間にあった飛渡瀬(ひとのせ)水道が埋め立てられ、一つにつながった。周辺の島々とともに江田島市を成すこの地は、明治から「海軍の聖地」として知られる。

明治21年に移転

明治21年、海軍兵学校が東京・築地からこの島に移転した。以降、米アナポリス、英ダートマスと並ぶ「世界三大兵学校」の一つとして名をはせた。日露戦争で連合艦隊の作戦参謀を務めた秋山真之や、先の大戦で連合艦隊司令長官を務めた山本五十六ら名だたる将星たちが、ここで若き日を過ごした。

現在は海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校として受け継がれ、市の人口の1割にあたる約2000人の隊員が暮らす。敷地内には、明治26年に英国人建築家の指導で建造された総レンガ造りの生徒館(現・幹部候補生学校本館)や、山口県産の御影石を使った大正6年築の大講堂、昭和11年築の白亜の教育参考館など、歴史的建造物が当時のまま建つ。

特攻隊員の遺書も

この春、一般見学に参加すると、入校したての幹部候補生たちが凜々(りり)しい立ち居振る舞いで校舎を歩く姿が見られた。海軍関連の資料が約1000点展示されている教育参考館には、神風特攻隊員の遺書もあった。

海上自衛隊第1術科学校の水谷吉克1等海尉は、「海軍兵学校設置以来、海上武人教育の聖地として歴史と伝統が色濃く残る場所。年間約3000人の隊員が転出入している。これほど歴史的建造物が数多く残る教育機関は全国的にも珍しい」と語る。

和洋折衷の「海友舎」。NPO法人が施設見学やイベントなどを実施している

終戦まで、兵学校の生徒が休日に過ごす憩いの場として、島民が民家を開放した「生徒俱楽部」が何軒もあった。その一つを復元した「江田島市ふるさと交流館」で、昭和15年に実家が生徒俱楽部となった大久保延子さん(96)に会った。

「小学5年生の頃、うちが『大久保俱楽部』になった。日曜日に生徒さんたちが来て、制服を脱いでくつろいでいた。女性は年齢を問わずオバさんと呼ぶ決まりがあって、私を『小さいオバさん』と呼んで遊んでくれた」と当時を懐かしむ。

一方で、明治後期に一般兵や下士官の福利厚生・娯楽施設だった海軍下士卒集会所跡も残る。戦後、民間に払い下げられ、現在は「海友舎」と呼ばれNPO法人が管理して守り継ぐ。

防人(さきもり)たちが志を磨く江田島で、国防の使命をつなぐ歴史が今も息づいている。

■アクセス
広島港(広島市)や、呉港(広島県呉市)からフェリーが運航。呉市内からは陸路もある。
*第1術科学校の一般見学については、公式SNS・WEBで確認を。

筆者:小林希(こばやし・のぞみ) 
旅作家。昭和57年生まれ、東京都出身。主に旅、島、猫をテーマに執筆。世界60カ国、日本の離島は180島を巡った。

2026年6月19日産経ニュース【島を歩く 日本を見る】を転載しています

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