写真:写真映像部・松永卓也
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『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』で史上初のノンフィクション賞三冠を達成した鈴木忠平さんによるノンフィクション連載「沖縄の英雄 島人たちの甲子園」第7回。1999年の選抜高校野球で、沖縄尚学は準決勝に進出する。琉球新報社の整理部員、外間崇は甲子園に向かった。決勝の紙面を担当する前に、現場で見なければならないと思っていた。AERA 2026年6月22日号より。

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第三章 決勝前夜

「当時、よく大人たちが『沖縄の高校が甲子園で優勝するのが先か、沖縄から大臣が出るのが先か』みたいな言葉を口にしていました。でも、私たちはその感覚がよく分かりませんでした。(内地への)劣等感はないのかと聞かれたこともありましたけど、招待試合などで県外遠征にも行っていたので、そういった感情もなかった。小学生の時に沖縄水産が2年連続で準優勝するのを見ましたし、他の世界でも沖縄出身の人が東京で活躍していましたから、大人世代ほど『内地に負けるな』という感情が強くなかったのかもしれません。甲子園に行ったときも、沖縄代表というだけで球場全体から拍手がもらえるのは少し不思議な感じがしました」(比嘉公也(こうや))

 1999年は日本中がどこかそわそわとしていた。いわゆる「世紀末」という言葉が独り歩きし、ルネサンス期の占星術師の予言がまことしやかに流布されていた。IT業界がコンピューター誤作動問題の対応に追われているというニュースが連日報じられ、人々の胸には新しい時代に対する期待と不安が入り混じっていた。

 そんな年の4月はじめ、沖縄県那覇市中心部の琉球新報社の編集局では朝から局員たちがテレビ中継に釘付けになっていた。第71回選抜高校野球大会で、沖縄尚学高校が山梨の市川と準々決勝を戦っていたのだ。紙面のレイアウトを担当する整理部員、外間崇(ほかまたかし)もその中の一人だった。

 金曜日の午前中、まだ太陽が東の空にある時刻だ。会社勤めの人々はコーヒーを片手に机へ向かい始めた頃かもしれない。それでも、多くの人々が許される限り、テレビ中継に視線を送っているはずだった。

 春も夏も、どこの高校が出場しても、この島の人々は甲子園の舞台に立つ球児たちを後押しする。外間も少年時代からそんな環境で育ってきた。ひとつの勝ち負けが、その枠を飛び越えて波及していく。沖縄にとっての高校野球は、他のどのスポーツとも異なっていた。

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全国の頂点とどれくらいの距離か 真相を報じる側になりたかった

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鈴木忠平

鈴木忠平

すずき・ただひら◆1977年、千葉県生まれ。ノンフィクション作家。著書に『嫌われた監督』『虚空の人』『アンビシャス』『いまだ成らず』他

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