【写真を見る】「いつまでたっても悔しい」終戦から数年後 疎開先で知った父と祖母の死 宮崎県・山内武さん【#あなたの623 】

宮崎県の波島地区。ここは太平洋戦争中に沖縄から疎開してきた人たちが多く移り住んだ地域で、今でも沖縄にルーツを持つおよそ70世帯が暮らしています。

山内武さん(87)は与那原町に生まれ、沖縄戦が始まる前、家族を残して5歳の時に宮崎へ疎開しました。

▼山内武 さん(87)
「小学校に上がるのが4月ですよね。それで段取りやらいろいろしたけど、それどころじゃない。沖縄に戦争がやってくると言って、地域は大騒ぎ。沖縄を出るときは1週間か、長くても2~3か月の思いで、そういう気持ちだった。80年住むとは思いもしなかった」

戦争が終わった後も、波島地区に住み続けた山内さん。終戦から数年後、父と祖母が沖縄戦で亡くなったことを知りました。

「父親、祖母、どんなに地獄だったか。本当にたまらない。いつまでたっても悔しい思いをしている」

当時、沖縄からの移住でおよそ300世帯が暮らしていたという波島地区。同郷の人たちが山内さんの支えとなりました。山内さんは波島地区の子どもたちも通う宮崎東小学校を訪れ、慰霊の日を前に行われた、平和学習に参加しました。

授業では、糸満市とリモートでつなぎ、宮崎市の語り部グループ「南の風」の代表常盤泰代さんが平和祈念公園を案内しました。その中で児童たちに紹介されたのは、公園内に設けられている平和の礎。

▼語り部グループ「南の風」常盤泰代 代表
「遠い遠い宮崎の故郷を思いながら、こんなにたくさんの人が亡くなったのです」

礎には、山内さんの父と祖母の名前も。

▼山内武 さん(87)
「世界平和がずっとずっと続くように、貢献していくような気持ちで、みなさん、1日1日学んでください」

山内さんの言葉は、児童たちにしっかり届いたようです。

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