村上海賊の足跡・尾道 (広島県)
広島から愛媛にかけて200近くの島が密集する芸予諸島。七つの橋で島々を結ぶ瀬戸内しまなみ海道を行くと、のどかな多島美を望める。だが眼下の海は、高低差のある潮の満ち引きと激流が襲う、船乗り泣かせの「難所」だ。
村上海賊が海路を見張る砦を置いていた白滝山。現在は大小約650体の石仏が並ぶ(広島県尾道市で)
10年前、芸予諸島はある「海賊」の本拠地として、日本遺産となった。南北朝時代から戦国時代末期にかけて、一帯の制海権を握った「村上海賊」だ。因島(広島県尾道市)、能島(愛媛県今治市)、来島(同市)の3家に分かれ、水先案内や漁業、塩や石材の交易などで生計を立てた。
島は農業資源に乏しい。生活のために略奪行為に及ぶ海賊は統治者の悩みの種だったが、村上海賊の活動はその枠にとどまらない。
因島村上氏は本州沿岸、能島村上氏は芸予諸島を横断するコース、来島村上氏は四国沿いの航路を掌握。「瀬戸内の海を制する者は天下を制する」と言われた時代にあって海の秩序の維持に寄与する存在だった。
幕府の船や遣明船の警固も担った。室町幕府の兵糧船を護衛し、織田信長の船団を撃破した「第一次木津川口の戦い」が主な功名だ。
因島を拠点に村上海賊を研究する郷土史家の今井豊さん(77)は「海峡が多い地理を生かして関料(通行税)を取り、安定収入を得ていた。統率の取れた軍備を持ち、為政者たちが一目置く海の豪族だった」と指摘する。
村上三家は見張り所として多くの城を築いた。16世紀後半、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは著書に「その島には日本最大の海賊が住んでおり、そこに大きい城を構え(以下略)」と記している。因島にも10を超える城があった。
現在、面影を残す建物は残っていないが、船を係留する柱穴や石垣跡が海賊たちの栄華を物語る。干満の差が大きい立地を生かし、造船業の集積地となって地域経済を支える。
1983年開館の因島水軍城(尾道市)ではゆかりの武具や古文書を展示し、観光の拠点となっている。島並みが展望できる白滝山(同市)は、かつて村上氏が
砦(とりで)
と定め、観音堂を置いていた。後世まで民衆のよすがとなり、江戸時代末期以降に造られた約650体の石仏が並ぶ景色は壮観だ。
村上海賊の歴史を研究し、講演やガイドで見所を伝えている今井さん(広島県尾道市で)
ガイドも務める今井さんは「瀬戸内の風土や気候、地理的条件が村上海賊を生み、現代の造船業まで連綿とつながる史実を体感できるはずだ」と魅力を説く。(福山支局 佐々木栄)
地図・芸予諸島
因島水軍城は、JR尾道駅から路線バスを乗り継ぎ、「水軍城入口」で下車し、徒歩10分。午前9時半~午後5時開館。木曜休館。大人330円、小中学生160円。白滝山は「因島北IC入口」バス停から徒歩30分。観覧無料、無休。いずれも車や自転車で巡る人が多い。
関西発の最新ニュースと話題
あわせて読みたい
