県外で活躍する青森県民を紹介する【Turning Point】。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第151回のストーリーは、中泊町出身で株式会社 梓設計 沖縄事務所 所長の小林裕幸さん。
【画像はこちらから】30歳で移住を決意 青森と沖縄の架け橋に 小林裕幸さんのターニングポイント
全国各地の空港やスポーツ施設などの構造や設計を行う会社、株式会社 梓設計。小林さんは現在、沖縄事務所の所長をしている。
■ラジオがきっかけでアマチュア無線に興味を持つ
幼少期の小林さんは、活発で相撲の好きな子どもだった。
小林裕幸さん
「テレビがあまりなかった時代で、テレビがある家にみんなで相撲を見に行った。僕らの時代は大鵬とか柏戸とかですね。力士の話題ばかりで、友達同士で相撲して強くなると『あいつ相撲取りになれるよ』と言ったものです」
漁師だった父親は冬になると出稼ぎで不在のことが多く、大変だった母親の作業を手伝っていた。
小林裕幸さん
「親父が家にいなかったので母親が一番身近な存在でしたね。畑仕事や家のことなど何でも手伝っていました」
小学校高学年になると、父の出稼ぎ先の東京へ転校。
その頃から、ラジオがきっかけでアマチュア無線に興味を持ち始める。
■アマチュア無線の資格取得 そこで学んだ会話力
小林裕幸さん
「勉強しながら、落合恵子さんのラジオの深夜番組を聴いてましたね。ラジオ番組を聴いてると、パーソナリティをやっている人は良いことしゃべってるなと思うんですね」
高校の時にはアマチュア無線の資格を取得。
小林裕幸さん
「興味よりも、そこにはまり込んでしまうのがアマチュア無線ですよね。社会人になったらアマチュア無線の機械を絶対買うんだと思っていました」
高校卒業後は高砂熱学工業に就職。それと同時に手に職をつけたいと思い、建築関係の学校の夜学へ2年通った。
小林裕幸さん
「高校卒業と同時に建築とか機械を学べる学校に行きたいという思いがあったんです。東京都北区王子にある中央工学校だったんですけれども、建築とか設備・エンジンなどを学べる学校です」
