八ちゃん堂創業者 川邊義隆さん〈1〉
トラック運転手の労働時間規制強化、フェリー輸送やリレー方式広がる…給料減で人材流出懸念も
花火大会や縁日の屋台で定番のたこ焼きを、家庭で気軽に食べられるように日本で初めて冷凍食品化した「八ちゃん堂」。創業者の川邊義隆さん(83)は、半世紀ほど前に福岡県みやま市でたった一人で始めたたこ焼き店を、全国区の会社に育て上げた。原動力になったのは「たこ焼きに市民権を」との熱意だった。
たこ焼きへの思いを語る八ちゃん堂創業者の川邊さん(4月8日、福岡県みやま市で)=田中勝美撮影 4月上旬、みやま市の本社で大皿に載った熱々のたこ焼きを指先でつまんで食べると「ベリーグッド」と、ほほえんだ。敷地内の工場で焼き上げられた自慢の品だ。「良いものを、おいしく、便利に、安心して食べてほしい」との思いでキャベツは原則、工場近隣の契約農家から新鮮なうちに仕入れ、卵にもこだわる。
学生時代は自動車販売会社を経営していた父の後を継ぐつもりだった。大学卒業後、輸入車販売会社に就職して修業を積み、10年後に父の会社に入社した。そこで「移動式のたこ焼き店を始める」という男性客が次々と車を買い増す姿に、「たこ焼きビジネス」の将来性を感じ取った。
各地に展開していた八ちゃん堂の路面店=同社提供 周囲の反対を押し切って退職し、1977年にはみやま市を拠点に中古の移動販売車1台で売り始めた。店名はタコの足の数にちなんだ「八ちゃん堂」にした。当時は米国発祥のマクドナルドなどの人気が高まっていた。「老若男女が食べるたこ焼きは和製ファストフードになる」との読みは当たり、1年足らずの間に10台以上の販売車を展開するまでになった。 味のばらつきをなくそうと、試行錯誤を重ねる中でたどり着いたのが工場で作ったたこ焼きを冷凍して販売する方法だ。82年に日本初の冷凍たこ焼きの開発に成功。電子レンジと冷凍庫付き冷蔵庫の普及を追い風に、パイオニアとして知名度を高めていった。 ひらめいたらすぐに行動を起こす性分で、冷凍焼きナスや、国産ミカンの皮をむいて丸ごと凍らせた商品「むかん」など、斬新なアイデアで事業を拡大した。今ではみやま市に工場を三つ、ベトナムに一つ抱える。 2009年に68歳で社長を退き、顧問として会社を見守りながら不動産会社を営む。「裸一貫で始めた商売が大勢の社員を抱えるビジネスに育ったのは家族や社員、友人、そして、みやま市のおかげ。これからも地域に恩返ししていきたい」と力を込める。川邊義隆(かわべ・よしたか) 1941年、福岡市生まれ。妻の勝代さんは専務を務める。ビジネスのヒントをつかむため新聞を丁寧に読む。景色の良い場所でのバーベキューや温泉巡りが趣味。2022年度に九州・山口の優れた経営トップをたたえる「第50回経営者賞」を受賞した。
![[道あり] 1人で始めた「八ちゃん堂」、たこ焼きは「和製ファストフードになる」…1年弱で販売車10台以上に [道あり] 1人で始めた「八ちゃん堂」、たこ焼きは「和製ファストフードになる」…1年弱で販売車10台以上に](https://www.walknews.com/wp-content/uploads/2024/05/1715675354_20240514-OYTAI50014-1-1024x576.jpg)