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【写真を見る】終戦直後に秋田山中で墜落のB29 富山大空襲に出撃した機体だった…機体発見の探検家が富山へ 遺物が物語る惨禍

富山大空襲の爆撃中心点、富山城東南の角。4日、81年前の戦火の中心を訪れたのは、秋田市の探検家、髙橋大輔さんです。髙橋さんは、富山大空襲の被害の大きさや市民の思いを取材しています。

探検家 髙橋大輔さん
「秋田にあるものは残骸なんですけど、それが実際にどういう戦時中に各地に被害をもたらしたのか、それをたどってみたいなと」

終戦直後、秋田県男鹿市の山中に米軍のB29が墜落しました。

■1945年7月の段階ではターゲットは不二越

高橋さんは、6年がかり27回の登山を経て、去年、この機体の着陸装置である長さ184cmの主脚を発見しました。そして、このB29が、富山市をはじめ9都市に出撃していたことを突き止めました。

1945年8月2日の富山大空襲。174機のB29が50万発以上の焼夷弾を投下。約11万人が被災し、推定3000人が犠牲となりました。

髙橋さんは、富山大空襲の爆撃中心点で「富山大空襲を語り継ぐ会」のメンバーから、富山大空襲について説明を受けました。

富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「1945年7月の段階ではターゲットは不二越(当時は軍需工場)だったんですけど、その後に今立っている東南の角に計画が変更になりまして」

探検家 髙橋大輔さん
「なんででも変更になった?」

■どれだけ悲惨であったかということが…

富山大空襲を語り継ぐ会 高安昌敏代表幹事
「『絨毯爆撃』することによって、国民から戦争に対する反対意見が出るだろうとそれを狙ったわけです」

「語り継ぐ会」は、高橋さんに富山大空襲が市街地の住民を標的にした空襲だったことを伝えました。

午後には、富山市の護国神社を見学。溶けてかたまった古銭など、空襲のすさまじさを伝える遺物を目にしました。

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