JR新神戸駅(手前)とポートアイランド、神戸空港(奥)を結ぶ直線道路=2006年1月19日、神戸市中央区
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『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』で史上初のノンフィクション賞三冠を達成した鈴木忠平さんによるノンフィクション連載「沖縄の英雄 島人たちの甲子園」第9回。1999年の選抜高校野球で沖縄尚学はPL学園を破り、決勝に進出した。沖縄の高校が初めて甲子園で優勝するかもしれないと、県民の期待は高まっていた。監督の金城は、準決勝で延長を投げ抜いたエースを決勝で投げさせるか苦悩する。AERA 2026年7月6日号より。
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これまで見たこともないような数の報道陣が自分を取り囲んでいた。PL学園との準決勝を終えた金城(きんじょう)孝夫は勝利監督インタビューを受けていた。
──いよいよ決勝ですが。
そう問われても、実感がなかった。頭に手をやると、沖縄を出る時に短く刈り込んだはずの髪が伸び放題になっていた。甲子園に来てからの約3週間、それだけ夢中で突っ走ってきた。グラウンドでプレーする青年たちの方だけを見てきた。
取材が一段落したところで地元メディアが教えてくれた。準決勝の試合中は沖縄の国道58号線に車が極端に少なくなり、那覇の公設市場が大変な賑わいになっていたという。
そう聞いてようやく、自分たちがどこまで駆け上がってきたのかに思い至った。
沖縄に初めて優勝旗が渡るかもしれない──。
翌日の決勝戦は、人々のそんな願いを乗せたゲームになるのだ。
バスが甲子園を出る。神戸市中央区の旅館に戻ると、金城はまず比嘉公也(こうや)を呼んで、付き添いの教員とともに新神戸駅から新幹線に乗るようにと伝えた。212球をひとりで投げ抜いたエースを愛知県の治療院へと向かわせた。そこには指導者になってからずっと信頼している施術師がいる。決勝戦のプレーボールまで、もう二十四時間を切っていた。登板の可否にかかわらず、少しでも比嘉の肩肘の疲労を取り除いておく必要があった。
──決勝戦に比嘉を投げさせるのか。
おそらくマスコミも沖縄の人々も他の選手たちも、誰もが気にしていることだろう。準決勝を終えた後、金城も自分に問うた。答えはすぐに出た。
投げさせることはできない。
この甲子園に来る前、比嘉に卒業後の進路をどう考えているのかと訊いたことがあった。彼は大学に進んで野球を続けたいと言った。それも教職課程のある大学を希望していた。比嘉らしいと思った。彼は確かに優れたピッチャーだったが、プロでの活躍を約束されるほどの才能があるわけではない。地に足のついた彼はそのことを理解しているのだ。教職課程のある大学へ行くのは将来的に指導者を目指しているからだろう。
選手を指導する沖縄尚学監督の金城(左)=1999年2月20日、沖縄尚学高
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「優勝旗が海を渡ったとき、初めて沖縄の戦後が終わる」
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鈴木忠平
すずき・ただひら◆1977年、千葉県生まれ。ノンフィクション作家。著書に『嫌われた監督』『虚空の人』『アンビシャス』『いまだ成らず』他
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