幕末維新史探訪2026
幕末維新史探訪2026(16)幕末政治と赤松小三郎―知られざる軍事戦略・政治改革家⑥
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町田 明広
歴史学者
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2026.6.10(水)
赤松小三郎
薩摩藩による赤松小三郎の暗殺
上田藩による帰藩厳命によって、ついに帰藩を決心した赤松小三郎は、慶応3年(1867)9月3日午後4時頃、京都東洞院通にて薩摩藩士桐野利秋(中村半次郎)と田代五郎左衛門によって暗殺された。桐野の日記『京在日記』には、当日の状況が克明に記されている。
幕逆賊信州上田藩赤松小三郎、此者洋学ヲ得候者ニて、去春より御屋敷へ御頼に相成り、今出川、烏丸通西へ入町へ旅宿致し、諸生も肥後・大垣・会津・壬生浪士内より壱人居弟子、其外ニも諸藩より入込も多し、然処、此度帰国之暇申出候ニ付、段々探索方ニ及候処、弥幕奸之由分明にて(略)魚棚上ル所ニて出合、我前に立ちふさかい、刀を抜候処、短筒に手ヲ掛候得共、左のかたより右のはらへ打通候処、直ニたおるる所ヲ、田代士後よりはろふ、壱余り 歩ミたおる也、直ニ留ヲ打ツ、合て弐ツ刀、田代も合て弐ツ刀にておわる。
【現代語訳】
幕府の逆賊、信州上田藩士・赤松小三郎。この者は洋学に通じた人物で、昨春より薩摩藩の御屋敷に招かれて世話になっており、今出川・烏丸通の西へ入った町に旅宿を構えていた。門弟には肥後・大垣・会津藩士、壬生浪士(新選組)からも一人が弟子として入っており、その他にも諸藩から出入りする者が多かった。
ところが、このたび帰国の暇を申し出てきたので、しだいに探索を進めたところ、いよいよ幕府の奸物(スパイ)であることが明らかとなり(中略)魚棚を上がったところで出くわした。我が者の前に立ちふさがり、刀を抜いた。短筒(ピストル)に手をかけたが、左の肩から右の腹へ斬り通したところ、即座に倒れた。そこへ田代が後ろから払い、一間余り歩いて倒れた。直ちに止めを刺した。合わせて二刀。田代もまた合わせて二刀にて、絶命した」とある。
また、貼り出された「斬奸状」(京都三条大橋南側擬宝珠)には、「此の者之儀、兼て西洋ヲ旨トシ皇国之趣意ヲ失ヒ、却テ公ヲ動揺せしめ候儀、不届き之至り」とあり、天誅を加えたことを宣言した。
