
たこ焼き製造機の動作を確認する川邊さん(後列右)=本人提供八ちゃん堂創業者 川邊義隆さん〈6〉
電子レンジで温めて食べる「冷凍たこ焼き」のアイデアをひらめいたものの、生産手段がない。頼ったのはたこ焼き用の鉄板を手掛ける中部地方の機械メーカーだった。拠点の福岡県瀬高町(現・みやま市)から何度も足を運んで鉄板の厚みやガスバーナーの火加減などを調整し、とうとう1時間に3600個を生産できるたこ焼き製造機が完成した。
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すぐに銀行の融資を取り付け、瀬高町に工場を建設した。電子レンジで加熱後に手焼きのたこ焼きのような軟らかな食感が出るよう、形状や原材料の配合を工夫して、焼き上がった直後に一気に冷やす方法で品質を保った。 1982年8月、とうとう販売にこぎつけた。だが、当時はまだ、誰も見たことがない商品。販路開拓には目の前で温めて試食してもらうのが最も効果的だと考え、ドライアイスと一緒に発泡スチロールに詰め込んで東京や大阪の食品問屋を訪ね歩いた。 営業マンは自分ひとり。当初は苦戦したが、転機は突然訪れた。アイデアの斬新さと同じ味を再現できる便利さに目をつけたある企業が、甲子園球場での試験販売を提案してくれたのだ。用意した300食は瞬く間に売り切れ、正式納入が決まる。球界屈指の集客力を誇る球場で人気を集め、知名度は全国区になっていった。 その頃、九州を中心に展開していたフランチャイズ(FC)は移動販売車が数十台、路面店が約200店に拡大していた。冷凍たこ焼きが家庭に普及すれば、FC店に影響が及ぶのは目に見えている。冷凍の販売先はなるべく、九州から離れた本州にしようと努めた。 だが、80年代、電子レンジは全国の家庭に爆発的に普及していった。悩みに悩んだ末、苦渋の決断でFCのオーナーに「冷凍食品メーカーに転換する」と説明して回った。時代の変化を察してか、大半の店は納得してのれんを下ろした。 その後は冷凍の販路拡大に専念し、居酒屋など業務用の需要の開拓にも成功。91、93年には相次いで現在のみやま市に新工場を建設した。生産能力は1日100万個にまで増え、冷凍たこ焼きのパイオニアとしての地位を揺るぎないものにした。
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