1972年札幌冬季五輪スキージャンプ70メートル級金メダリストの笠谷幸生(かさや・ゆきお)氏が23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市内の病院で亡くなったことが26日わかった。80歳だった。告別式は近親者で行われた。

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笠谷幸生さん(2009年1月、札幌市の宮の森ジャンプ競技場で)=伊藤紘二撮影笠谷幸生さん(2009年1月、札幌市の宮の森ジャンプ競技場で)=伊藤紘二撮影 北海道出身。余市高(現余市紅志高)、明大を経てニッカウヰスキーに入社し、70年の世界選手権70メートル級で銀メダルを獲得した。札幌五輪の70メートル級では、冬季五輪史上日本人初となる金メダルに輝き、銀メダルの金野昭次、銅メダルの青地清二とともに表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中を沸かせた。

札幌五輪の表彰台で大観衆にこたえる(左から)金野昭次さん(左)、笠谷幸生さん(中)、青地清二さん(右)(1972年2月6日撮影)札幌五輪の表彰台で大観衆にこたえる(左から)金野昭次さん(左)、笠谷幸生さん(中)、青地清二さん(右)(1972年2月6日撮影) 76年のインスブルック五輪後に引退。全日本のコーチなどを務めて日本ジャンプ界の復活に手腕を発揮したほか、日本オリンピック委員会の理事などを歴任。2018年に文化功労者に選ばれた。札幌五輪の表彰台で大観衆にこたえる(左から)金野昭次さん(左)、笠谷幸生さん(中)、青地清二さん(右)(1972年2月6日撮影)札幌五輪の表彰台で大観衆にこたえる(左から)金野昭次さん(左)、笠谷幸生さん(中)、青地清二さん(右)(1972年2月6日撮影) 全日本スキー連盟の勝木紀昭会長は「(札幌五輪の金メダルは)日本のスキー界に大きな影響を与えたことはもちろん、現在の日本のジャンプ選手の快進撃の幕開けだったと思う。引退後は多くの優秀な選手を育成した。ご功績は、日本スキー界の代えがたい宝」とコメントした。

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