【舛添直言】来年には極右「ルペン大統領」誕生の可能性、フランスはどこに向かうのか

舛添 要一

舛添 要一
国際政治学者

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2026.10.10(土)

2026年10月8日、フランスのパリで、学校環境の改善を求める全国的な抗議デモが行われ、放水銃がデモ参加者に水を噴射した(写真:ロイター/アフロ)

 フランスでは、高校生の抗議活動が拡大している。劣悪な教育環境の改善を求めている。ただ、問題は高校にのみあるのではなく、フランス社会全体が病んでいる。増大する不法移民などによる犯罪、さらにはテロ活動で治安が悪化している。移民排斥をうたう極右政党が支持を拡大している。私は、半世紀前にフランスに留学したが、その当時は繁栄した平和な国であった。まだ日本は貧しく、フランスの豊かさを眩しく思ったものだ。フランスは、どこへ向かうのか。

輝いていた50年前のフランス

 私は、1973〜75年にフランスに留学し、グルノーブル大学、パリ大学で学んだ。学生食堂では、今の貨幣価値だと300円くらいでフルコースの食事ができたし、たいへん美味しかった。ワインはグラス一杯で20円くらいだった。

 パリでは、アルジェリア、モロッコなどから来た移民労働者が道路清掃などに当たっていた。当時もテロ事件が皆無だったわけではないが、私の日常生活では治安への不安を感じる機会は少なく、注意すべきことといえば地下鉄内でのスリ程度だった。

 パリの住宅は6階建てが基本で、集合住宅(マンション)となっており、玄関には門番・管理人(コンシェルジュ)がいて、不審者に目を光らせている。郵便物などは、コンシェルジュが各家庭まで届けてくれる。

 私はエッフェル塔の近くに住んでいたので、セーヌ川沿いを歩いて、外務省、国民議会、ソルボンヌ(パリ大学)と移動した。研究のため外交資料や議会資料を閲覧する必要があったが、資料の保管場所がヴェルサイユにあり、そこからトランクで運んできてくれるのである。世界に開かれた国際都市の名に恥じない研究環境であった。

 実は私が渡仏する前の1968年には、学生の抗議活動「五月革命」が起こり、それは、アメリカや日本にも波及し、「若者の反乱」という国際的な流れとなった。

 フランスでは、「Imagination prend le pouvoir(想像力が権力を奪取する)」とか「participation(参加)」とかいったスローガンが主流であった。戦後の高度経済成長を謳歌した先進民主主義国では、物質的な豊かさは実現したので、それ以外の価値を追求するようになった。それは、政策決定過程への参加とか、自らの発言権の強化とかいった主張であった。

 ところが、1973年10月に第四次中東戦争が勃発し、原油価格が大幅に引き上げられた。「石油ショック」であるが、それは世界経済に大きな影響を与えた。

 日本でも、トイレットペーパーや洗剤が入手困難になり、物価は上がり、消費が減退した。日本経済も1974年度には戦後初のマイナス成長に陥り、高度経済成長の時代が終わりを迎えた。

 1968年の大学革命のスローガンは、1973年の石油危機によって過去のものとなってしまった。

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