誰かに話したくなる世界遺産のヒミツ
誰かに話したくなる世界遺産のヒミツ(27)「リオ・ピントゥラスの手の洞窟」(アルゼンチン)
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2026.8.14(金)
リオ・ピントゥラスの手の洞窟
人類の「アフリカ単一起源説」を証す洞窟
目次
人類の「アフリカ単一起源説」を証す洞窟
手形を描いたテウェルチェ族は虐殺された
日本で “グレートジャーニー”といえば、探検家・医師である関野吉晴さんがカヌーや橇、馬、自転車など人力だけで、人類の拡散ルートを10年かけて逆に辿った約5万3000kmの旅である。南米大陸の果てパタゴニア(「世界最南端の町」があるチリ・ナバリーノ島)から、東アフリカ・タンザニアのラエトリ遺跡(アファール猿人の360万年前の“足跡”化石を発見)までの過酷なルートは、ドキュメンタリー番組でシリーズ化され有名になった。
けれど、元はイギリスの考古学者ブライアン・フェイガンが、アフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)が世界中に広がっていった移住の歴史を、1987年の著作「グレートジャーニー」で提唱して、世に知らしめたのだ。
私たちの祖先であるホモ・サピエンス(ラテン語で“知恵あるヒト”の意味)は、約20万年前にアフリカで誕生して、6万年前頃からユーラシア大陸に広がっていった。そして、氷河期で海水面が100mも低くなり、陸続きになっていたベーリング海峡を、マンモスなどの大型動物を追ってアメリカ大陸に渡った。さらに移動を続け、南米の最南端パタゴニアに、遅くとも1万1000年前には到達したと考えられる。
これを「アフリカ単一起源説」と呼び、現在では多くの学者が支持している。実際、証拠になるような猿人(アウストラロピテクス)や、原人(ホモ・エレクトス)の化石が南アフリカ・エチオピア・ケニアなどで数千点も発見され、その発掘の地は4カ所が世界遺産になっている。
猿人の足跡があったラエトリ遺跡の北40kmには、ルイス・リーキー博士と妻のマリーが180万年前の頭蓋骨を発見し、“人類発祥の地”として世界中に知られたオルドヴァイ渓谷がある。2010年、ふたつのエリアは「ンゴロンゴロ保全地域」の一部として、自然と文化のふたつの価値をもつ複合遺産になった。
そこはマサイ族が野生動物たちと共に生きるサバンナの中でも荒涼とした一帯で、テーブル状の赤茶けた台地がヒビ割れている。まるで時にあらがって、崩れ落ちるのをやっと止めている塔のようだ。吹きすさぶ風が、枯れ川に生える灌木をそよがせていた。太古、オルドヴァイ渓谷は湿地や森のある緑の環境だったというが、いまや全く面影はない。こんな土地でヒトは生きて来たのかと、苦い郷愁を誘われる。
今回紹介するアルゼンチン・パタゴニア地方にある「リオ・ピントゥラスの手の洞窟」(登録1999年、文化遺産)は、ピントゥラス渓谷の高さ200mもの断崖のまん中辺りに、洞窟というよりも深く抉られた岩陰が続き、太古の先住民がその壁という壁に858の手形を残した特異な遺跡である。
先史時代の“手”の岩絵は、世界各地で発見されているが、リオ・ピントゥラスのように手形(ネガティブ・ハンドと呼ばれ、陰画のように手の形をぬく)が大量に残されている洞窟は類がない。赤・白・黄・黒……おびただしい数の手が密集し、重ね描きされた岩肌はどこか呪術性さえ感じさせた。
はがれ落ちた顔料や、床面に埋もれていた生活遺物を炭素年代測定したところ、黄土色した“手”が、9300年前の最古のものだと判明している。
この事実は、すでに1万年近く前には南米大陸の果てに、ヒトが到達していたことを物語るのだ。アフリカ単一起源説の年代ともほぼ一致して、5万kmにおよぶ人類の旅路を証拠立ててもいた。ホモ・サピエンスは、「私たちはここに来た」という心の叫びを洞窟に印したのかもしれない。
