YBCスポーツ特別編で5回にわたり「モンテディオ山形30年の軌跡」と題した特集をお伝えしています。7月22日は、チームの前身NEC山形時代から応援を続けてきたサポーターの思いに迫ります。
5月、天童市で開催された、モンテディオ山形30周年記念レジェンドマッチ。
アナウンス「チーム出羽三山が登場します」
ユニフォーム姿で入場してきたのは、かつてスタジアムを沸かせた往年の選手たちです。
サポーター「最高です」
サポーター「うれしいみんなけがしないよう願って応援した」
サポーター「32年目当時のユニフォームJFL。30年前のものいっぱいあるのよー」
後日、この男性のお宅を訪問しました。
あいさつ「こんにちはよろしくお願いします」
山形市の小笠原友彦さん(67)と妻の薫さん(66)です。
小笠原友彦さん「ごく1部。4分の1ぐらい」
小笠原さんの妻薫さん「これが1番古いかもアウェイ用」
小笠原友彦さん「宮武選手94年」
小笠原さんの妻薫さん「当時は、レプリカユニフォームは無かったから自分たちで作った。スポーツ店に頼んで」
2人がNEC山形の試合を初観戦したのは1994年。
本田技研との一戦でした。
小笠原友彦さん「がむしゃらに走るチーム。当時はサッカー選手というよりNEC山形の運動部という感じ。少ないお客さんにもう1回来てもらいたいという思いが伝わって来た。応援しないわけにはいかないなと」
選手たちのひたむきな姿に惹かれ、「一緒に応援しませんか」とチラシを配られたことがきっかけで、応援団への参加を決めました。
小笠原友彦さん「会員は実質10人ぐらい」
小笠原さんの妻薫さん「ドラムを持っていたから太鼓を叩いて」
サポータズクラブ「クラージュ」が誕生。小笠原さんは初代会長として太鼓を叩き続けてきました。
小笠原さんの妻薫さん「昔はNEC対富士通の試合がおもしろかった。電気関係の対戦なので富士通の社長が来てNECにだけは負けるなと。企業と企業の戦い」
さらに見せてくれたのは、大切に保管していた1枚のチケット。1994年の柏レイソル戦です。
前売り券は、発売と同時に若い人たちが次々に買い求めに来るほど注目された1戦でした。
その試合会場になったのが、中山町の県野球場。
小笠原友彦さん「当時天童の総合運動公園に照明が無かったのでナイターできる設備は野球場しかなかった」
サッカーコートは、ピッチャーマウンドを避け、外野が中心で、内野の土の部分に芝生を張り付けるなど、急ピッチで整備が行われました。
そして、1万5000人を超える観客が詰めかけた試合当日。視線を集めたのは、ブラジル代表でも活躍した柏レイソルの9番カレカ。
小笠原友彦さん「すごかったよね。カレカだーって。今のメッシみたいな感じ。試合はぼろ負けでしたけど」「それでも応援し続けたいのは?」「1試合1試合喜怒哀楽あるし。仲間も増えてきて」
NEC山形時代から応援し続けて30年以上。J2参入、そして2度のJ1昇格などチームの歴史とともに歩んできた小笠原さんが、この先望むのは…。
小笠原友彦さん「J2優勝か天皇杯優勝。優勝の経験がないから」
小笠原友彦さん「新スタジアムで1回でも太鼓を叩いて応援できれば本望かな。最年長の太鼓叩きとしてそこで叩ければいつ引退してもいい。その時はまた特集でも組んでください」
