「セルソ グループ」代表 藤井セルソ栄さん39 

 「日本語が分かるようになると視野が広がり、正規雇用のチャンスも出てくる。工場勤務にとらわれず、一歩踏み出して外の世界を見る大切さを伝えたい」

 2025年3月、日系ブラジル人らが多く暮らす島根県出雲市で、外国人の困り事に対応する合同会社「CELSO GROUP(セルソ グループ)」を設立。仕事の悩みを聞いたり、通訳として病院の受診に付き添ったりしている。

日本語とポルトガル語の能力を生かし、「日本とブラジルの架け橋になりたい」と話す藤井さん(島根県出雲市で)日本語とポルトガル語の能力を生かし、「日本とブラジルの架け橋になりたい」と話す藤井さん(島根県出雲市で)

 ブラジル・サンパウロ市生まれの日系3世。家族とは日本語、外ではポルトガル語を話す家庭だったため言葉の苦労はなかった。4歳で両親らと来日し、父の仕事のため東京都や大阪府で計4年間暮らした。

 ブラジルに戻って高校生になった時、楽しかった日本の小学校時代の思い出がよみがえり「日本で自分を磨き、成長したい」と考えるように。両親は「ブラジルに残ってほしい」と願ったが、意志を貫き、高校卒業後の05年に再来日した。

 岐阜県大垣市や静岡県御殿場市の電子部品製造工場で働き、08年のリーマン・ショックでは派遣切りに遭った。それでも、日本語能力を生かし、静岡県の熱海温泉のホテルで、フロントスタッフを務めた。10年には出雲市に転居し、工場で勤務。来日間もない日系ブラジル人向けに仕事や日本での暮らしのルールを教える教育担当も務めた。

 11年に出雲市内で知り合った中国人と結婚。中国で長女が誕生すると、中国語が理解できないため困難に直面した。「これを貸してください」「水が飲みたい」という要求すら伝えられず、気持ちが落ち込んだ。

 幼少期から日本語が話せたため意識してこなかったが、「言葉の壁とはこういうことなのか。全国の日系ブラジル人も同じような気持ちで生活しているのだろうか」と初めて感じた。「通訳として日本とブラジルの架け橋になりたい」という気持ちが強くなった。

 22年4月から3年間、出雲市の会計年度任用職員としてポルトガル語の通訳・翻訳を担当。窓口対応や消費者相談、乳幼児健診など庁内各課からの依頼を受けて駆け付けた。

 その中で不登校やローン滞納、子どもが親の通訳代わりになり学習機会が奪われるといった現状を垣間見た。「幅広い困り事に対応したい」と25年に起業。通訳・翻訳に加え、就業相談や日本語指導を行う。「日本人と意思疎通できれば、可能性も広がる」と日本語を学ぶ大切さを伝える。

 日系ブラジル人の高齢化が進み、家族を失った人に火葬や葬儀の手続きの助言をする機会も出てきた。年老いた両親をブラジルから呼び寄せる人もいる。「5~10年後にはセカンドキャリアについて考える必要性や、介護問題も顕在化してくる」と先を見通す。「高齢化に対応しながら外国人が安心して暮らせる仕組みづくりを考えていきたい。気軽に相談してほしい」と呼びかける。

(佐藤祐理)

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