江戸時代に行われた岐阜の三大河川の治水工事、いわゆる「宝暦治水」は、多くの薩摩義士の犠牲の末に成し遂げられました。その偉業を称え薩摩義士をしのぶ慰霊祭が25日、鹿児島市で行われました。

 慰霊祭は宝暦治水の工事の指揮をとった平田 靱負の命日に合わせ、鹿児島市の平田公園で毎年、行われています。江戸時代、薩摩藩は度重なる水害に見舞われていた岐阜県の木曽川、長良川、揖斐川の治水工事を、多くの藩士の犠牲などの苦難の末、わずか1年余りで成し遂げたといわれています。

 (県薩摩義士顕彰会・島津 忠裕会長)
「まさに不撓不屈の使命感と責任感をもって難工事にあたられた皆様方の血と汗と涙の結晶であり、薩摩藩の誇る優れた土木測量技術の成果でした。皆様方の偉大な功績は末永く彼の地の方々を守り続けています」

 宝暦治水をきっかけに鹿児島県と岐阜県は姉妹県盟約を結び、交流を深めています。慰霊祭にはそれぞれの県の中高生も参列したほか、岐阜県養老町の薩摩義士踊り保存会が15年ぶりに踊りを奉納しました。

 また、岐阜県出身で南大隅高校 自転車競技部のキャプテン、井上 大嗣さんが、薩摩義士に自身の競技を重ね、決意を述べました。

 (南大隅高校 自転車競技部 主将・井上 大嗣さん)
「自転車競技には圧倒的な個人の力という理不尽が存在します。薩摩義士の方々のように命がけというわけにはいきませんが、固い団結力を少しでも見習いながらチームとして理不尽に立ち向かっていこうと思います」

 (薩摩義士の遺族・平田 靭久さん)
「私たちの先祖が成したことがこんなに長く語り継がれ、そして今でも岐阜の方々から感謝をされているということに本当に驚きを隠せませんし、その事実を今の子どもたちに私たちが伝えていかなければならない」

 慰霊祭の後には宝暦治水の象徴的な存在でもある「日向松」の看板を付け替えるセレモニーが行われました。木曽三川の水が注がれ、歴史の継承に向け、思いを新たにしました。

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