小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登による音楽ユニット、TM NETWORKがデビュー40周年を迎えた。シンセサイザーを多用したサウンドの先進性と、親しみやすいメロディーによる大衆性を兼ね備え、Jポップの礎を作ったとされる。TMがポピュラー音楽史に果たした役割について、リーダーの小室に聞いた。(聞き手・読売新聞文化部 鶴田裕介)TM NETWORK。左から小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登TM NETWORK。左から小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登リクエストは「そのままで全く新しい」

 ――Netflix映画「シティーハンター」(佐藤祐市監督)のエンディングテーマに、「Get Wild Continual」を提供しました。代表曲「Get Wild」の最新バージョンで目指したサウンドとは。
 
小室哲哉
 (1987年に放送が始まった)アニメ「シティーハンター」のエンディングで、登場人物のせりふと重なる形で「Get Wild」のイントロが流れるというあの流れは、多くの方に認知されていると思います。今回、実写映画のエンディングテーマを作るにあたり、監督からはそうしたオリジナルのイメージには忠実なんだけれど、新しいものを、というリクエストがありました。「そのままで、全く新しく」と。
 聞き流していると、オリジナルバージョンと何も変わらないと思われるかもしれませんが、ほぼ全部作り直しています。要所要所に、オリジナルのデータを借りてきて、エッセンスとしては入れているんですけどね。代表曲「Get Wild」代表曲「Get Wild」「Get Wild Continual」アナログレコード「Get Wild Continual」アナログレコード アニメだと、下手したら1秒くらい絵が動かないシーンも多かったんですが、実写の場合は表情も含めてずっと何かしら動いています。スピード感が全然違うんですね。今回は鈴木亮平さん(主人公・冴羽獠役)のアクションも含めて縦横無尽なので、疾走感を出した方がいいかな、と考えました。テンポはオリジナルと変わらないんですけど、聞き比べてみると、メトロノームのテンポ的に3から4くらい速く感じると思います。全く変わってないんですけどね。ベースやリズム、音源の構成のテクニックを使って、前に、前に進む感じにしています。 ――「Get Wild」は、TMの名前を一躍お茶の間に知らしめました。「シティーハンター」が世代を超えて見られ、この曲が聴かれる作品になると、当時想像していましたか。
 
小室
 いえ、僕は当時、原作漫画が連載されていた「少年ジャンプ」を読んでいたわけではないですし、あまり気にしていませんでした。ただ当時、アニメのお話にエンディングテーマのイントロが食い込んでくるというのはすごく画期的なことだ、と言われていたみたいです。アニメの制作チームから、曲のイントロにせりふを乗っけたいという要望があり、(イントロを)後から付けました。今日は(アニメのお話は)終わるけど、続きがあるという期待感が大きかったかもしれないです。チームの方たちにルールを壊してでもやろうという意気込みがあり、僕はリクエストにお応えしただけです。
 ――1984年4月21日にデビューし、40年がたちました。これほど長くグループが続いた理由は何だと思いますか。3人の友情か、音楽性か、あるいは両方でしょうか。
 
小室
 両方ですね。友達という前に、人としてお互いを許容できるかどうか。ただの友達だけでは、40年も続かないですね。3人ともクリエイターなので、アイデアを出し合う時に、それぞれが今何を目指しているのかを話すのですが、それを受け入れてくれるということだと思います。3人が3人とも、寛容であるということでしょうか。
 3人とも、社交辞令みたいなのはあまり好きじゃないんです。あいさつに厳しいといったこともないですし。3年ぶりくらいに会う時に「久しぶり」って言うのが照れて嫌だったりする3人なので、美辞麗句は嫌いですね。「良かったね」「ありがとう」とか、そういうのは言わなくてもわかりますし、ステージの直前でも何もあいさつしないです。終わった後、2人がいつ帰ったかわからない時もあります。ちょっと兄弟に近いかもしれないですね。ベストなアルバム「CAROL」 ――40年間で、ご自身にとってベストなアルバム、あるいは手応えのあった作品は。アルバム「CAROL」(1988年発表)アルバム「CAROL」(1988年発表)
 
小室
 「CAROL」(1988年発表。異世界で盗まれた『音』を取り戻すという内容のコンセプトアルバム)です。当初から、こういうことができるぐらいのグループになったらいいな、と考えていました。最終的に、シアトリカルな劇場型コンサートみたいなことまでできたらいいなという構想の基礎となる音源でした。ロンドン録音で、すごくコストもかかっています。これをやらせてもらえるところまでにたどり着きたい、そのためにはヒット曲を出さないといけない、と考えていました。
 当時、CDはもうあったんですけれど、レコードもまだある時代でした。3人とも、2枚組みを出すっていう夢が一緒だったんです。見開きのジャケットに憧れていたんです。中高生の頃から。 ――TMが活躍した80年代は、従来の音楽とダンスミュージックの融合が模索されていた時代でした。そういった世界的なサウンドの最先端を、どのようにキャッチしていたのですか。
 
小室
 80年代後半、僕は幸運にも音楽留学のような形でロンドンに行くことができ、そこでサウンドトラックなど、色々と制作をさせてもらいました。クラブで最新の音楽を聴いていましたし、スタジオに何かと用事を作って、制作現場を見せてもらっていました。当時、一番ヒットしていたPWLというダンスミュージックのチームがあり、カイリー・ミノーグとか、バナナラマとか、そういう人たちのヒットファクトリーだったんです。1人1部屋で、何部屋も使い、別の曲を作ったりしている。量産ですよ。「もうすでに今日、100万枚売れてるんだよね」と言われたり。これはすごいなと思いました。
 どうしようかな、と思いましたね。急に全部何もかもは変えられないし、今までのTMもあるし、日本の音楽シーンもあるし。どう混ぜていけばいいのかな、と(答えを出すまでには)結構かかりました。「じゃあ僕らは何に入るのか」 ――当時、邦楽と洋楽の関係をどう捉えていましたか。
 
小室
 (邦楽と洋楽は)分断されていましたよね。クラブのDJは日本の曲はまず流さないし、ラジオの番組も同じ。今でこそ、若い子たちは旬の曲の次に80年代の曲を聴いても何の違和感も感じないし、洋楽だろうが邦楽だろうが何の線引きもないっていうのが、自由でいいと思う。でも、僕らの時代はカテゴリーがすごく細かくて、「じゃあ僕らは何に入るのか」というのがわかりづらかった。(作品によって)この間はロックっぽかったけれど、今度はダンスっぽい、ディスコでしかかからないよと、メディアの人たちもTMのポジションを決めかねていたと思います。TMを出すにも、何の特集で出せばいいのかな、というのはあったでしょう。
 ――TMの音楽は「いかに分断に立ち向かうか」がテーマだったのでしょうか。
 
小室
 かっこよく言えばそうですね。うまく中和させたいっていうのが僕の中にはありました。でも、なかなか難しかったですね。どうしても皆さん、カテゴライズしたがるので。だから、Jポップになったんじゃないでしょうか。(1988年開局のFMラジオ局)J-WAVEができた頃に、Jポップというジャンルができたと言われます。でも、J-WAVEもあんまりかけてくれなかったですけどね(笑)。洋楽が多くて、邦楽はあんまり。今はチャートを見ると、洋楽も邦楽も関係ないですもんね。グローバルチャートに日本人もたくさん入っていますし。
 ――今や、米国のホワイトハウスにYOASOBIが招かれる時代になりました。
 
小室
 そうですよね。そういう分断はなくなりましたよね。本当に。
40周年ツアー最終公演…5月18、19日「Kアリーナ横浜」TM NETWORKの5月公演のポスターTM NETWORKの5月公演のポスター TM NETWORKは5月18、19日、横浜市の「Kアリーナ横浜」でデビュー40周年ツアー最終公演を行う。
 問い合わせは、ディスクガレージ(
https://www.diskgarage.com/artist/detail/no001269
)へ。

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