四肢まひで手足の自由を失いながらも、口にくわえた筆で創作を続けた星野富弘さん(群馬県桐生市)が4月28日、78歳で亡くなった。東村(現みどり市)で生まれ、自然の草花を水彩画で描き、生き方などへの思いを詩で表現するスタイルで半世紀にわたり活動した。
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星野さんは群馬大学教育学部卒。新任の体育教師だった1970年6月、高崎市の中学校で指導中に
頸髄(けいずい)
を損傷して四肢まひになった。24歳の時だった。
その後、約9年間、同大付属病院に入院。一緒に入院していた男子中学生から「帽子に一言書いて」と頼まれたことをきっかけに、創作に目覚めた。
インタビューを受ける星野さん(2011年3月撮影) ベッドで横向きになりながら詩や絵を描き、79年に前橋市で初の作品展を開いた。全国各地で詩画展を開催したほか、講演も精力的にこなした。「風の旅」など多数の著書を出版し、一部は英訳もされた。
小中高校の同級生で、91年にオープンした富弘美術館館長の
聖生(せいりゅう)
清重さん(77)は「立派な作品でたくさんの人を勇気づけた。まだ気持ちが整理できていないが、よく頑張ったなと伝えたい」と絞り出すように語った。
入院中もダジャレでよく周囲を和ませていたといい、「治らないと言われ、手足の感覚もない。絶望としか言えない状況でもユーモアを忘れない強い人だった」と友の姿を振り返った。 美術館の来館者が感想をつづるノートには、「生きる力をもらった」「背中を押された」との言葉が多く書かれている。聖生さんは「今後も富弘の思いを伝えていきたい」と話した。
星野さんの作品が並ぶ院内の会場(30日、群馬大付属病院で) 「おもちゃを手にいれた子どものようだった」 入院時の主治医で、退院後も交流を続けた白倉賢二さん(74)は、星野さんが初めて電動車いすに乗った時のことが忘れられない。キャンパス内を動き回って病室に戻らないので、看護師らとよく捜しにいった。数年前に会った時は、「今さら手足が動くようになったら、自分でやらなくちゃいけないから困る」とにこにこしながら話していた。「いつでも明るくて、一緒にいると楽しかった。また話したかった」と惜しんだ。 星野さんも過ごした病院の外来棟1階では作品12点が展示され、患者やその家族の憩いの場となっている。一般も訪れることが可能だ。また、富弘美術館には1日から記帳台が設けられる。
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