背 景
ヨーロッパブナ(Fagus sylvaticaL.、以下ブナ)は、中央ヨーロッパで最も広く分布する落葉樹種の一つであり、広範な緯度・経度にわたって安定した極相林を形成しています。その表現型可塑性と広い生態学的適応の幅(生態学的振幅)により、ブナは生態学的・経済的価値を兼ね備え、中央ヨーロッパにおける自然に近い形での気候変動に強靭な(レジリエントな)林業の要とみなされてきました。
しかし近年、広範囲にわたる樹冠の落葉(枯死・衰退の兆候)に見られるように、ブナは気候変動による脅威にますますさらされています。実際、2025年のドイツの森林状況調査では、モニタリング対象となったブナの79%が、少なくとも中程度の樹冠落葉症状を示していました。ドイツだけでも、ブナの衰退による経済的損失は、シナリオによって1,800億ユーロから最大4兆ユーロに達すると予測されています。したがって、ブナにおける気候変動への強靭性の分子基盤を理解することは、緊急の研究課題となっています。
技術的課題
森林樹木における分子生物学的ツールの活用は、一年生作物に比べて大きく遅れています。森林樹木の育種プログラムは依然として表現型選抜に大きく依存しており、モデル樹木であるハコヤナギ属(Populus)においてさえ、遺伝子導入(トランスジェニック)手法を用いた遺伝子機能研究はまだ初期段階にあります。
この遅れには、長い世代交代期間(ブナでは約50年)、堅牢なリファレンス・アセンブリを欠く大規模なヘテロ接合ゲノム、in vitro(試験管内)での再分化の困難さ、組織培養や植物体再生が極めて困難、といった要因が複合的に関与しています。最近、ブナの高品質なリファレンスゲノム(12本の染色体からなる二倍体ゲノム、総アセンブリサイズ約541 Mb)が利用可能になりましたが、その遺伝子モデルについては、実験的な検証がまだ十分になされていません。
プロトプラスト抽出・培養プロトコルの採用
プロトプラスト(酵素処理によって細胞壁が除去された単一の植物細胞)を用いることで、細胞レベルでの迅速かつ再分化を必要としない機能解析が可能になります。PEG(ポリエチレングリコール)を介したプロトプラストへの遺伝子導入は、DNAを取り込ませる手法として最も広く利用されており、プロモーター・レポーター解析や、ゲノム編集用のCasヌクレアーゼおよびガイドRNAをコードするコンストラクトなど、遺伝子コンストラクトの直接的な試験を可能にします。このアプローチは、1970年代後半からin vitro培養や個体への再分化が極めて困難であることが認識され、現在も研究課題となっているブナにとって特に有用です。
植物の再分化と組み合わせることで、プロトプラストを用いた系は、リボ核タンパク質(RNP)の導入によるDNAフリーのゲノム編集を可能にします。この手法は、ブナのような長命な樹種にとって特に魅力的です。なぜなら、外来遺伝子の安定的な組み込みを回避し、長期間を要する育種や分離の工程を省くことで、その後の育種や規制関連のプロセスを簡素化できるからです。
初期のプロトコルでは、野外で生育した樹木の展開直後の葉からプロトプラストを単離することに限られていました。これまでに、他の多くの森林樹種では効率的に適用されているにもかかわらず、ブナにおけるプロトプラスト形質転換の報告はなされていません。
CRISPR/Cas12aゲノム編集技術の利用
CRISPR/Casを介した遺伝子編集は、多様な植物種において機能ゲノミクスに革命をもたらしました。森林樹種において、CRISPR/Cas12aの使用が報告されたのは、ポプラに関する初期の研究のみでした。一般的に使用されるCas9と比較して、Cas12aには、Tに富むプロトスペーサー隣接モチーフ(PAM)配列を認識すること、DNAの千鳥状切断(staggered cut)やより大きな欠失を生じさせることなどの利点があります。
標的を決定するCRISPR-RNA(crRNA)の構造がコンパクトであり、コンストラクト全体のサイズも小さいことは、形質転換効率が限定的となりがちな系において有利に働きます。さらに、crRNAのサイズが短いことや、Cas12aが多重化されたcrRNAアレイを処理できる能力は、複数の遺伝子を同時に標的とすることを容易にします。これは、ゲノムの不均一性や広範な遺伝子重複を特徴とする樹種や、複雑な多遺伝子形質の改変において特に重要です。
Cas9や標準的なCas12aに対するもう一つの利点は、著者らが今回採用したCas12aの変異体ttLbCas12aにあります。この変異体は、植物組織培養で一般的な低温条件下での編集効率を向上させます [#]。編集効率を最大化するために、予測される二次構造に基づいて複数のcrRNAが選定されました。ブナにおいてフィトエン不飽和化酵素(PDS)遺伝子が特定され、標的遺伝子として使用されました。PDSはカロテノイド生合成経路における重要な酵素をコードしており、再分化植物において視覚的な表現型を確認できる可能性や、配列の保存性が高く同定が容易であることから、モデル編集領域として頻繁に利用されています。
研究成果
高効率なプロトプラスト単離・培養系の確立 [Fig. 1引用下図参照]
ブナの実生(苗木)の葉から、平均5.5 × 10⁷ protoplasts/g FW (fresh weight)(生存率94.2%)、最大1.5 × 10⁸ protoplasts/g FWのプロトプラストを高効率で単離することに成功。培養開始後1日以内に細胞壁の再構築が始まり、2週間目で細胞分裂、12週間目には微小カルス(細胞塊)の形成を確認。
PEG媒介一過性形質転換の最適化と季節変動の発見
氷上(on ice)でのDNA前処理(30分)、最適な細胞密度、MMGバッファーの使用などの体系的最適化を実現。最適条件下(秋/9~10月の実験)では、最大59.00 ± 6.19%の高い形質転換効率を達成。 一方で、プロトプラストの収量と形質転換効率には年間を通じて顕著な変動が見られ、制御された生育条件下であっても、季節がこの手法の再現性を左右(春と秋が高効率、夏や冬場は低下)
プロモーターの選択
6種類の構成的プロモーター(PcUBI、HaUBI、AtUBQ10、CaMV35S、AtuNOS、AtuOCS)と蛍光リポーター(mEGFP、turboRFP)の作動性を検証。植物由来のユビキチンプロモーター(特に PcUBI)が、ウイルス由来(CaMV35S)やアグロバクテリウム由来のプロモーターよりも高い発現効率(>20%)を示すことを確認。
CRISPR/Cas12a変異体によるFsPDS遺伝子のゲノム編集
低温な植物培養環境に適した温度耐性Cas12a変異体(ttLbCas12a)[#]と4種類のcrRNAを用い、モデル遺伝子であるフィトエン脱水素酵素遺伝子(FsPDS)の標的編集を実施。4.75% 〜 32.69%の編集効率で、標的領域での1~24 bpの範囲の欠失(5-10 bpに集中)を誘導
形質転換の再現性や再生系についてはさらなる最適化が必要ですが、ここで確立されたプロトプラスト・プラットフォームは、非モデル樹種であるブナにおける一過性機能解析やゲノム編集研究のための貴重な基盤となるものです。
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「比較的低温で培養される植物のゲノム編集に有効なLbCas12a変異体を作出」CRISPRメモ_2019/10/15 – 第3項. https://crisp-bio.blog.jp/archives/20359033.html
出 典
”Genetic transformation and CRISPR/Cas12a-mediated gene editing of European beech (Fagus sylvatica L.) employing a transient protoplast system” Virginia Zahn(1), Alice-Jeannine Sievers(1), Birgit Kersten(1), Matthias Fladung(1), Tobias Bruegmann(1,2). Commun Biol 2026-08-26. https://doi.org/10.1038/s42003-026-10805-9Thünen Institute of Forest Genetics, Sieker Landstrasse 2, Grosshansdorf, Germany.Corresponding author
