新潟県と福島県を結ぶ国道289号の県境区間は、その険しさから「八十里越」と呼ばれ、来年夏の開通を目指し工事が進んでいます。この「八十里越」…古くは幕末の長岡藩の英雄・河井継之助が最後に通った道としても知られています。その足跡を辿るとともに、八十里越開通への期待を取材しました。
「八十里越」開通へ
国道289号の新潟と福島の県境。
1989年に始まった工事は、来年夏の暫定開業に向け、最終段階を迎えています。
その非常に険しい地形から付いた名は「八十里越」。
古来、越後と会津の人々が行きかった峠道。
そして、幕末の動乱の舞台となった場所です。
福島・只見町で続く河井継之助の墓前祭
8月16日、福島県・只見町で行われていたのは、幕末の長岡藩の家老・河井継之助の墓前祭です。
継之助は1868年8月16日、この地で亡くなりました。
地域の人たちが墓を建て、150年以上、綿々と弔ってきました。
この墓前祭も主催は地域の住民です。
墓前祭実行委 渡部仁一さん
「骨は持って行かれたので、灰を集めて此方の方に弔ったと、その次の年っていうか、それから部落の人で弔ってきたということで」
河井継之助の生涯
河井継之助は1827年、現在の長岡市で生れました。
江戸など全国を旅して学び、藩主から抜擢されます。

藩政改革や西洋式の武装を進め、1868年に始まった戊辰戦争。
新政府軍と旧幕府側の戦いでは、武装中立の立場から和平を模索します。
しかし、新府軍との交渉は決裂しやむなく戦うことに。
八十里越で敗走
そして、戦いに敗れた継之助は、傷を負い、会津へ逃れます。
そのルートが三条・下田から只見に向かう八十里越でした。
長岡市の記念館にある継之助の銅像。その左手は刀の柄の頭に置いています。
河井継之助記念館 中田仁司 館長
「持っているけど、本当の最後の最後まで使わないということで、中立ということを表すためにこのような銅像になっています」
