国連事務総長だった故コフィー・アナン氏(2012年5月、資料写真、写真:ロイター/アフロ)
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2026年8月25日付)
国連事務総長を務めた故コフィー・アナンには、弱い国や問題を抱えた国にとっては独裁者が正しい答えになり得ると主張しようとする人を諭すお気に入りのセリフがあった。
祖国ガーナで育った頃、誰かがとんでもないことを主張した時に自分や友人たちが示した反応を振り返り、酔っぱらいの戯言をいなすかのように「それはジョニーウォーカーが話している」と言った。
独裁制は「砂上に築かれている」と彼は考えていた。国を育む唯一の方法は良い統治によるもので、とにかく努力するしかないと信じていた。
筆者は15年前、タンザニア視察旅行でアナンがこの穏やかな「ジョニーウォーカー」の反論を口にするのを聞いた。
当時は冷戦後の希望の目的論が自然と廃れた時期だった。それにもかかわらず、途上国世界の大半では希望に満ちた民主主義の風が吹いていた。
アナンが生きていたら、今、どれほど気落ちしただろうか。
権威主義はもちろん、中国やロシアをはじめとした大国で過去10年以上にわたって台頭している。
トルコから湾岸諸国、インドに至るまで、「ミドルパワー(中堅国)」では最近になって台頭し、インドネシアでも急激に勢力を伸ばしている。
独裁者が世界を跋扈
だが、米国が民主主義の旗手の役目を降りることを決めた今、絶対君主にとって大きな春が訪れている。
ジンバブエからミャンマーに至るまで、乱暴な独裁制が大胆になり、不安を抱いたり叱責を恐れたりせずに好きなことを何でもやれると思っているようだ。
タンザニアについて言えば、当局が先日、政府内に潜む緊張について報道したことで大手新聞社1社に免許停止処分を下したばかりだ。10年前であれば、そのような行動は西側の援助国からの圧力につながっただろう。
不寛容な政治家にとって、制裁を心配せずにメディアを弾圧できることは解放的に違いない。
これは何も目新しいことではないと反論したい気になる人もいるだろう。米国が一体いつから高尚な振る舞いの鑑(かがみ)になったのか、と。
結局のところ、米国は常に自国の利益を考え、偽善的だった。長年、支配的な地位にあった国はどこも同じだ。
カナダ首相のマーク・カーニーが今年1月、米国主導の「ルールに基づく秩序」の構想を「心地よいフィクション」として非難した時、その批判はグローバルサウス(新興国・途上国)で特に大きな支持を得た。
こうした国では、多くの人が長年、西側の一貫性のなさを嫌悪してきた。いわば検察側の「証拠品A」は、冷戦時代のザイール(現コンゴ民主共和国)の独裁者だったモブツ・セセ・セコだ。
彼はクレプトクラシー(収奪政治)体制の王だったが、彼や他の独裁者は「反ソ連」の手駒として何人もの米国大統領に甘やかされた。
