日本各地では、風土に根ざした多様な染織品が古くから作られてきました。その美しい布を次世代へと受け継いでいきたい──そんな願いを込めて、全国の産地を取り上げた特集「染織レッドリストを救え」は、雑誌『美しいキモノ』で大きな反響を呼びました。この特集を、各産地への最新リサーチ情報を加えて、デジタル連載として復刻します。
北から巡る連載の第14回では、「桐生織」をはじめ、群馬県の染織品や伝統工芸品を紹介します。
[初出『美しいキモノ』2015年夏号より]
群馬県「桐生織」帯で知られる関東最大の織物産地
撮影=宮川 久
奥から、丸帯、袋帯、七五三用の祝い帯。このほかに、京袋帯、半幅帯、男帯も製作。すべて/後藤
今回訪ねたのは、関東の織物産地で欠かすことのできない桐生織物のふるさと、群馬県の桐生市。往時の勢いを今に伝えるレンガ造りの建物や、文化財に指定されているノコギリ屋根の木造の工場が実際に稼働している風情のある街です。桐生織は経済産業大臣の伝統的工芸品に指定されています。
撮影=宮川 久
今回訪ねた、1870年創業の桐生織の老舗「後藤」。
撮影=宮川 久
当時のままの社屋と、北側に明かり取りの窓があるノコギリ屋根の工場は「国登録有形文化財」「近代化産業遺産」「日本遺産」に。
桐生での織物の歴史は古く、天平の昔に絁(あしぎぬ)を朝廷に収めたことが記録されているほど長い歴史があります。新田義貞の錦の旗や、関ヶ原の戦いで徳川家康が使った桐生の白絹の旗から名が知られるようになったといわれます。
一七三八年に西陣から高機を導入し、高度な織物が織れるようになり、明治に入ると近代的な技術を取り入れ、西陣に次ぐ帯の大産地になりました。現在も帯地が多く、特に七五三の祝い帯は、ほとんどが桐生で生産されています(当時)。桐生御召でも知られましたが、現在では着尺を作っているのは数社になり、御召の生産は少量になりました。
桐生織は種類が多く、経済産業大臣指定の伝統的工芸品には、御召、緯錦、経錦、風通織、経絣紋織、綟り織があり、ジャカード機で紋織の技術を生かした織物が多いのが特徴です。一部で手機も使われていますが、ほとんどはジャカード機の力織機を使います。ジャカード機とは、織機の上に設置し、個々の経糸を上げたり下げたりして紋織物を織る装置のこと。模様を織り出すためのデータとするために穴を開けた紋紙を、ジャカードに読ませ、経糸を上げ下げして目的の柄を織ります。
紋織を作るために従来から使われてきた紋紙ですが、京都の西陣では紋紙を使うことは少なくなり、多くがフロッピーディスクのコンピュータ制御に変わりました。しかし桐生では、紋紙はまだまだ多く、現役で使われています。工場の中に入ると、高い天井の作業場には、背の高いジャカード機が据え付けられ、紋紙の大きな束が釣り下がっているのが目を引きます。完成まで多数の工程があり、かつては一社で一貫して工程で製作していたものもありますが、現在は専門業者に分業に出すことも増えたそうです。
制作工程
1. 紋彫
図案に基づき、ジャカード機へどんなデザインや組織を織るのかを指令する情報を作ります。従来から使われてきた「紋紙」も桐生では活躍中。紋紙の情報を入れてコンピュータからジャカード機に指示するフロッピーも使われています。
撮影=宮川 久
紋紙。紙に開いた穴は模様を織るためのデータ。
撮影=宮川 久
紋紙に穴を開ける、ピアノ式紋彫機。かつては何百から何千枚の短冊形の紋紙に、一枚ずつ手で穴を開けました。現在は主に傷んだ紋紙を補修するときに使います。
撮影=宮川 久
桐生織の紋紙はサイズが数種類。西陣織の紋紙と桐生の紋紙とはサイズが違うのだとか。
撮影=宮川 久
紋紙に穴を開ける様子。
撮影=宮川 久
紋紙に穴を開ける、ピアノ式紋彫機。かつては何百から何千枚の短冊形の紋紙に、一枚ずつ手で穴を開けました。現在は主に傷んだ紋紙を補修するときに使います。
撮影=宮川 久
紋紙を縫って機に掛けられる状態にする機械。紋紙の両脇を縫って長い帯状につなげます。
撮影=宮川 久
紋紙に穴を開ける機械。つながれたパソコンから指示を出すと、指定のデザインの紋紙を打ち出します。
撮影=宮川 久
桐生織の紋紙はサイズが数種類。西陣織の紋紙と桐生の紋紙とはサイズが違うのだとか。
撮影=宮川 久
紋紙と同じ情報が入ったフロッピーディスク。
2. 糸準備
糸を染めます。織元から指定された色に染めることが重要です。微妙な色合いを調整して、指定通りの色を染め出すのは、長年の職人の勘がすべてです。御召に使う糸には、八丁撚糸機を使って、強い撚りをかけます。
撮影=宮川 久
たくさんの糸を染めるときに使う、噴射式染色機。ふたを閉めて、機械の中で染液を噴出させ、かせ糸を染めます。
撮影=宮川 久
染まった糸を整えて干します。
撮影=宮川 久
多色が必要なため、小ロットの染色は手染めで。
撮影=宮川 久
八丁撚糸機。御召の糸に撚りを掛けます。
3. 機準備
経糸の本数と幅を決めて所定の長さに整えるのが整経。まず、かせ糸を糸枠に巻き取ります(糸繰り)。並べた糸枠から引き出された経糸を、ドラム式整経機に巻き取り、千切りという木製の筒に巻き取ります。緯糸は機械で管(くだ)に巻き取ります( 緯巻・ぬきまき)。
撮影=宮川 久
染色後のかせ糸を整経や緯巻の各工程で扱いやすいように、糸枠に巻き取ります。
撮影=宮川 久
並べた糸枠から糸を引き出します。
撮影=宮川 久
糸を櫛状の板に通し、ドラム式整経機のドラムに巻き取ります。
撮影=宮川 久
緯巻機の下にある、緯糸を巻かれた管が色鮮やか。
4. 製織
現在、桐生で使われているのは、力織機(動力織機)がほとんど。紋紙とジャカード機などによって模様を織り出します。作られるのは帯が多く、七五三の祝い帯は全国トップシェア。着尺も作られ、手機で織られる品もあります。
撮影=宮川 久
桐生織の着尺。手前は桐生御召。中央は紋紗。奥は紋織の紬。すべて/泉織物
撮影=宮川 久
七五三用の祝い帯を織っているジャカード機。織機の上に模様の指令を出すジャカードが載せられ、模様のデータとなる紋紙が吊り下げられています。
撮影=宮川 久
使われている杼。カラフルな緯糸。
撮影=宮川 久
織り上がった帯を検品、修正。
撮影=宮川 久
手機で織る着尺もあります。写真は桐生や伊勢崎で伝統的に使われてきた小型の手機。
【その後の桐生織(2026年現在)】
制作を継続中です。桐生織物協同組合のHPではイベントなどの最新情報を発信中。和装で培った技術力を、時代に合わせて洋装にも応用しています。また、昭和初期に建築されたかつての織物組合の建物は、資料展示室や織物販売場を備えた桐生織物記念館として、桐生織物を発信する拠点に。レトロな佇まいで国の登録有形文化財に指定され、撮影ロケなどにも活用されています。
群馬県「伊勢崎絣」戦前の女性を魅了した銘仙の技を受け継ぐ
撮影=宮川 久
現在のシックな伊勢崎絣。製作/斉藤定夫
伊勢崎銘仙の技法を受け継ぐのが伊勢崎絣です。銘仙は大正から昭和に女性の普段着として普及した先染めで平織の絹織物。特徴は絣の種類の豊富さ。括り、板締め、捺染などの作り方があり、二種類以上の併用も。特に「珍絣」とよぶ大柄で珍奇な絣織りの銘仙は、華やかで絵画的な模様で一世を風靡しました。
伊勢崎は銘仙の先発地で、他に先駆けて銘仙に扱いやすい絹紡糸を用いることで量産を可能に。一九〇九年に仮織りした経糸を型紙で捺染する「解(ほぐ)し模様絣」を開発しました。銘仙生産は全国一で、最盛期の一九三〇年には四百五十六万反にも達しました。戦後に復興し、ウール絣も作りましたが、その後、絹に戻り、一九七五年に伊勢崎絣が経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定。現在は少量を生産。
撮影=木村真也
昭和初期に作られた伊勢崎併用絣。型紙捺染が盛んだった頃のもの。数十枚の型紙を用いて、カラフルに絣を染色。
制作工程
撮影=木村真也
バッタン機で織ります。
撮影=木村真也
手括りした糸を藍染し、防染テープを解くところ。
撮影=木村真也
摺り込み捺染での絣作り。ヘラで染料を糸に摺り込みます。
【その後の伊勢崎絣(2026年現在)】
斉藤定夫さんは制作を継続中。若い人材などに技術伝承のための指導を行っています。明治末建設のいせさき明治館では、昔の伊勢崎銘仙の展示・解説が見られます。伊勢崎地域の和装業者は減少しましたが、現在も洋装・インテリア関係の企業が産地を形成しています。
群馬県「桐生絞」桐生織の生地で作る絞り染
撮影=宮川 久
紬地を使った絞り染の着尺と帯地。すべて/泉織物
桐生織の織元である「泉織物」で作られている絞り染です。群馬桐県ふるさと伝統工芸品の指定を受けています。一九〇七年創業の泉織物の初代当主が絞り染を開始。現在は四代目当主の泉 太郎さんが絞り染を製作しています。絞り技法は約四十種類。薄手の紬地や紋織物など、同社で織った桐生織の生地を使っているのが特徴で、染め上がりに立体感と味わいがあるのが魅力です。
制作工程
撮影=宮川 久
模様により2度3度と絞ることもあります。
【その後の桐生絞(2026年現在)】
泉織物は制作を継続中。Facebook、インスタグラムなどで、作品や展示会などの情報を発信しています。
群馬県「館林木綿」館林織物の流れをくむ木綿縞
撮影=宮川 久
現在の館林木綿。唐棧風の縞木綿。すべて/山岸織物
館林地方は、綿糸の生産が農家の副業として発達し、付近の栃木・館群馬の機業地の綿糸供給地でした。その後織物生産地としても発展し、明治後期には綿織物や絹綿交織織物を年間九十万反以上も生産し、ピークの一九二二年には年産二百四十二万反を生産。関東大震災で減産し、戦争で綿織物が統制。戦後は館林紬を生産しました。現在は、明治二十五年創業の「山岸織物」が館林木綿を作っています。
制作工程
撮影=宮川 久
ドビー織機で製織。写真は2幅を一度に織っています。後で切って小幅に。
【その後の館林木綿(2026年現在)】
残念ながら、館林木綿は新規の生産を終了しました。今の時代に合わせた利用や復活への道が、有志により模索されています。
群馬県「桐生横振刺繍」横振りミシンによる日本独自の刺繍
撮影=宮川 久
横振刺繍をたっぷりと施した豪華な振袖の模様。
「横振り刺繍」とは、 針が左右に動く「横振りミシン」を使い、 図案を見ながら職人の手で、直接生地に柄を刺繍していく日本独自の技法です。桐生は大正初期に横振刺繍ミシンが導入されて以来、全国でも有数の横振刺繍の産地として発展。 足元のペダルを踏み込む強さによって、 刺繍の振り幅が変わる横振りミシンを用います。和装用は主に打掛と振袖が中心です。群馬県ふるさと伝統工芸品に指定。
制作工程
撮影=宮川 久
針の振り幅を足で調節する横振りミシンで刺繍します。刺すときは丸い枠を使用。
【その後の桐生横振刺繍(2026年現在)】
高齢化などにより減少していますが、取材した大桐のほかにも、複数の業者が生産を続けています。しかし、横振りミシンの設備自体が製造を終了したため、将来が危惧されています。
群馬県「中野絣」かつて親しまれた男物の夏着尺
所蔵・写真提供=邑楽町教育委員会
白地小絣の中野絣。紺絣もありました。
明治・大正期に夏用の男性着尺として知られた木綿絣。白地に小明絣が代表的で、西の大和絣、東の中野絣」ともいわれるほど。邑楽(おうら)郡邑楽町中野を中心に生産され、板締めで絣を作るのが特徴。
大正八年には木綿白絣のみで四十万反、綿織物すべてで百万反超を生産しました。太平洋戦争の統制で製造が不能になり、戦後急速に衰微。資料一式は、邑楽町の重要有形民俗文化財に指定。現在は保存会も。
制作工程
所蔵・写真提供=邑楽町教育委員会
絣糸を染めた絣板。
所蔵・写真提供=邑楽町教育委員会
中野絣を織った高機。
【その後の中野絣(2026年現在)】
途絶しています。地元関係者などで中野絣の資料収集や、普及活動などが行われています。
群馬県「高崎の紅板染」女性を彩った鮮やかな紅色の型板染
写真提供=たかさき紅の会
吉村家に残る型板(下)と同一の模様の間着。柄は牡丹に蝶模様。明治時代
模様を彫った板に布を挟んで染める「紅板染」。かつて裏地や襦袢など女性の内に着る服飾に多用され、江戸末期には全盛に。型染の技術が進むと昭和の初めに姿を消しました。高崎地域では昔から裏絹や染物の生産が盛んで、高崎で紅絹染と紅板染をしていたのが一八四五年創業の「吉村染工場」。一九三三年に紅染屋を廃業しましたが、紅板染の実施を確認できるのは、京都のほかでは高崎の吉村家が唯一。
制作工程
写真提供=たかさき紅の会
型板に布を挟み染料をかける技を「たかさき紅の会」が復元。
写真提供=たかさき紅の会
吉村家に残る型板。
【その後の高崎の紅板染(2026年現在)】
途絶しましたが、「たかさき紅の会」が、研究・復元・普及の活動を行っています。
群馬県のその他の伝統工芸品「群馬ふるさと工芸品」について
写真提供=群馬県地域企業支援課
「沼田の組紐」。沼田市で生産されています。
群馬県では、県内の伝統産業の工芸品を「群馬ふるさと工芸品」として指定しています。指定されている染織関係品には、紹介した伊勢崎絣、桐生織、横振刺繍、桐生絞のほかに、高崎手捺染(小紋、友禅染)、桐生手描き紋章上絵、沼田の組紐、太田の絞りなどがあります。また、これらの製造に従事している者で、高度の伝統技術・技法を保持する者を「群馬県ふるさと伝統工芸士」として認定しています。
撮影=宮川 久 木村真也 構成・文=笹川茂実
『美しいキモノ』2015年夏号より
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