
京都から移設された鳥居について語る沖縄県護国神社の加治順人宮司=5月、那覇市(池田祥子撮影)
先の大戦末期、島民や将兵ら19万人もの犠牲者を出した沖縄戦の戦没者を祭る沖縄県護国神社(那覇市)。60年前に建立された鳥居は、はるばる京都から移設された経緯がある。沖縄戦が終結して23日で81年。米国の施政下特有の事情が絡んだ秘話には、「戦没者慰霊」という沖縄と本土共通の願いが込められている。
沖縄県庁の南約2キロ。高台にある護国神社には、沖縄戦で亡くなった住民や、日清・日露戦争からの軍人・軍属ら17万7913柱が祭られている。
沖縄戦当時の複数の弾痕が生々しい石灯籠の近く、社殿前にそびえる高さ7メートル超の御影石製の鳥居には、《京都霊山護国神社》と刻まれている。「この鳥居は、沖縄と本土が切り離された中で、戦没者慰霊を通じて本土とのつながりを示した存在です」と加治順人(かじ・よりひと)宮司(61)は語る。
沖縄県護国神社は、昭和11(1936)年に戦没者を祭る招魂社として建立され、15年に県護国神社となった。しかし、沖縄戦で砲撃を受けるなど荒廃。戦後、沖縄は米国の施政下に置かれた。
30年代に入ると神社復興の機運が高まり、34年に仮社殿を設置。本格的な社殿建立のため募金が行われ、「1セント募金」と名付けられた活動では、賛同した小中学生から、流通していた1セント硬貨(当時の価値で3.6円)が寄せられた。
「まさに『オール沖縄』。この地は、みんなの慰霊の中心、よりどころという存在だった」。多くの念願がかない、40年に社殿再建を果たす。
鳥居が建立されたのは翌41年4月。京都霊山護国神社(京都市東山区)で工事のため取り外されていた鳥居が奉納された。
「沖縄で新たな鳥居を作ろうとしたが、米国が許可せず、贈呈ならいいということで、京都の鳥居を奉納することになった」
樫原(かたぎはら)三ノ宮神社(同市西京区)宮司の木村幸比古(さちひこ)さん(77)は、当時、京都霊山護国神社の宮司だった父、勝茂さんから事情を聴いていた。「京都霊山護国神社が、招魂社として全国で最も歴史が古いということも関係したのではないか」と話す。
鳥居の奉納には、沖縄返還交渉に取り組んでいた当時の佐藤栄作首相も関わったという。《鳥居は那覇港で検疫に引っ掛かり、陸揚げできず留め置かれたが、最終的に佐藤首相が米国に依頼し、超法規的措置で搬入できた》。加治宮司は、神社復興に事務方として携わった父からこう聞いた。
鳥居近くに残る41年当時の碑には、佐藤首相、福田赳夫蔵相、三木武夫通産相といった当時の主要閣僚に加え、田中角栄自民党幹事長、琉球政府行政主席らの名も刻まれている。
47年の沖縄本土復帰から半世紀余り。年月の経過とともに遺族の参拝は少なくなる一方で、初詣には毎年26万人が訪れ、地域の神社として親しまれている。そうした中、加治宮司は今も、鳥居の経緯について参拝者らに語り継いでいる。「鳥居は、戦没者慰霊に沖縄も本土もないとの気持ちを示した証し。当時の沖縄と本土の人たちの思いを忘れないでほしい」(池田祥子)
