今、注目すべきトップモデルたちを紹介する連載「THE NEW ICONS」。第3回は、シャネルのショーで衝撃を与えたインド人モデル、バヴィータ・マンダヴァにフォーカス。

バヴィータ・マンダヴァの基本プロフィールmodel showcasing a fashion outfit on the runway

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名前:バヴィータ・マンダヴァ(Bhavitha Mandava)
生年月日:2000年生まれ
年齢:25歳 ※2026年2月現在
出身地:インド・ハイデラバード
身長:約176cm
所属事務所:28Models(Mother Agency), Women Management Paris, Why Not Model Management, Premier Model Management

ニューヨーク大学で修士号を取得。学業に専念してきた才女

マンダヴァはモデルデビューを果たす2024年まで、ファッションとは無縁の学生生活を送ってきた。インドのハイデラバードにあるジャワハルラール・ネルー工科大学で建築学の学士号を取得後に、渡米。

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ニューヨーク大学(NYU)のタンドン・エンジニアリング・スクールに進学し、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI:コンピュータが人間にとって使いやすいものであるか、いかに自然に操作できるかを科学的・工学的に研究する学問分野)を専攻し修士号を取得している。

彼女の研究テーマは支援技術(Assistive Technology)。テクノロジーを用いて人々の生活の質を向上させることに情熱を注いできた。

ニューヨークの地下鉄で“運命を変える”スカウト

JFK空港でスカウトされたケイト・モスや、乗馬中に声をかけられたクリスティ・ターリントンなど、ファッション界には数々の“スカウト伝説”が存在する。

マンダヴァの場合は2024年の夏、友人とレストラン「ハイデラバディ・ザイカ」へ夕食に向かう途中、ブルックリンのアトランティック・アベニュー駅のホームで、28Modelsのスカウトに声をかけられた。『People』によると、当時の彼女は大学院の卒業を控え、インターンシップの不採用通知を受け取ったばかり。まさに将来への不安を抱えていた時期だった。

一度は断るも…経済的な理由からモデル活動をスタート

それまで学業一筋だった彼女にとって、ファッションモデルは未知の世界。当初はスカウトに対して乗り気ではなく、一度は断っている。『Dazed』のインタビューでは、「インドの中流家庭で育った私は、『成功する唯一の方法は、よく勉強して良い成績を取り、良い仕事を得ることだ』と教えられてきました」と語っている。

しかし、彼女の心を動かしたのは、夢や名声ではなく現実的な理由だった。スカウトからの「モデル業は学生ローンの返済に役立つ」という言葉がきっかけとなり、キャリアをスタートさせることを決意。後に彼女は、「学費を支払うためのお金が必要だった」と率直に明かしている。

スカウトから2週間! ボッテガ・ヴェネタでランウェイデビューfashion model walking down the runway during a fashion showlaunchmetrics.com/spotlight

ボッテガ・ヴェネタ 2025年春夏コレクションのショーで、ランウェイデビューを飾るマンダヴァ。

『The Economic Times』によると、スカウトはマンダヴァの写真をキャスティング・ディレクターのアニタ・ビットンに送り、ビットンがボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクター、マチュー・ブレイジーに見せたところ、即座に起用が決定。『Times of India』のインタビューでは、ブレイジーは彼女の「エフォートレスな美しさ」と「目が離せなくなる眼差し」に惹かれたという。

衝撃のスカウトからわずか2週間後の2024年9月、彼女はボッテガ・ヴェネタの独占契約を勝ち取り、ミラノでランウェイデビューを果たした。

彼女はプリーツスカートの上にシンプルな白のオーバーサイズシャツを羽織り、自信に満ちたウォーキングを披露。のちに、「有名なブランドであるにもかかわらず、私がデビューしたボッテガ・ヴェネタがどんなブランドなのか、当時はまったく知らなかった」と明かしている。

model showcasing a fashion outfit on the runway

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通常、新人モデルはテスト撮影やウォーキングの練習、数多くのキャスティングを経てデビューする。スカウトされてからわずか2週間でトップメゾンの独占契約というのは異例のスピード感で、彼女のポテンシャルがいかに規格外だったかを証明している。

シャネルで成し遂げた快挙model walking the runway in a black outfit with decorative elements

Carlo Scarpato

2024年12月、ブレイジーがシャネルの新アーティスティック・ディレクターに任命されると、マンダヴァも彼と共に新たなステージへと進むことに。翌年10月に開催されたブレイジーによるシャネルのデビューコレクションのショーでは、エクスクルーシブとしてランウェイを闊歩した。

その時に彼女が身にまとったルックは、金色の羽のようなタッセルと、裾にピンクのフェザーがあしらわれた美しい黒のドレスだった。

fashion runway presentation featuring diverse models

Carlo Scarpato

そして、世界中が彼女の名を知ることになったのが、2025年12月。ニューヨークで開催されたシャネルの2025-26年 メティエダール コレクションで、マンダヴァはインド人モデルとして史上初めて、ショーのオープニングを飾るという快挙を成し遂げたのだ。

ショーの舞台となったのは、ニューヨークの地下鉄、バワリー駅。地下鉄のホームからモデルとしてのキャリアが始まったマンダヴァにとって、原点へとつながる映画のワンシーンのような瞬間だった。

マンダヴァの「地下鉄から始まったサクセスストーリー」は、SNS上でも大きな話題を呼んだ。 そして2026年3月、シャネルは、マンダヴァを新たなアンバサダーとして迎え入れたことを発表。

モデル業を支えた存在

NYのショーは、ネット上でも爆発的な反響を呼んだ。特に話題となったのは、ハイデラバードにいる彼女の両親が、ライブストリーミングを通じて娘の晴れ舞台を見守り、涙を流して喜ぶ姿を収めた動画。

マンダヴァ自身がInstagramに投稿したこの動画は、ファッション業界の完璧な美しさとは対照的な、温かい人間ドラマとして世界中の人々の心を打った。

ショー後のインタビューで、この瞬間を一番に分かち合いたい存在として「常に家族」と答え、「モデルという仕事が本当はどういうものなのかよく理解できていなかった頃でさえ、家族は無条件に私を支えてくれた」と感謝を述べていた。

また、家族だけでなく、マンダヴァが生活費を賄うために働いていたニューヨーク大学のプロトタイピング・ラボ「MakerSpace」の同僚たちも、彼女を支える大切な存在だった。

ニューヨークに移住したばかりの頃、アメリカの食事に馴染めず苦労していた彼女に、マネージャーがわざわざインドのスナックを差し入れてくれたという。同僚たちを「今では家族のような存在」と話す彼女にとって、“居場所がある”という安心感は、モデル業界を生き抜く上での大きな支えとなっているにちがいない。

インド人モデルとしての成功 fashion model showcasing a unique textured outfit

Carlo Scarpato

インド国内では「色白=美」とする肌の色による差別が存在し、マンダヴァのような褐色の肌を持つ女性がトップモデルとして成功することは困難とされてきた。

マンダヴァ自身も、キャスティング会場での孤独について「白人や黒人、東アジア人のモデルは大勢いるけれど、ブラウンの肌を持つモデルは私を含めて一人か二人しかいない」と述べ、同胞のモデルと列に並びながら、「この中のどちらか一人しか選ばれないだろう」と感じていたという。

そんな中、彼女がシャネルのオープニングを飾る快挙を成し遂げたことは、単なる個人の成功を超えて、人々に希望を与えている。

学び続ける知性、未知の世界に飛び込む勇気、そして圧倒的な美しさを併せ持つバヴィータ・マンダヴァ。彼女のモデルとしての物語はまだ始まったばかり。次のシーズンでの活躍にも注目したい。

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