生まれ育った古里に1人。静寂に包まれた集落で、自治会長の渡辺和重さんはここで暮らすことの意味を考えている(京都府綾部市で)
住民が1人になり、「廃村」が危ぶまれている集落が京都にある。2007年に「限界集落」の活性化を目指す条例の施行後、5世帯7人の高齢者らが特産品作りに奮闘し、集落再生の象徴と言われた綾部市
古屋(こや)
地区だ。「奇跡も、衰退も全部見てきた」。20年近く自治会長を続ける渡辺和重さん(74)が初めて1人で迎えた冬に来し方を振り返り、これからを語った。(大阪デジタル編集部 森秀和)
福井県境に近い古屋地区は、市中心部から東へ約20キロ。車で10分ほどかかる隣の集落から、山あいを縫うように走る細い道を抜けた先にある。平安時代以降、海側の丹後と京の都を結ぶ街道があり、江戸時代には70戸が軒を連ねたと伝わるが、病院や店は遠く、携帯電話は圏外。積雪は2メートルに達し、倒木で幾度も停電に見舞われる。その集落の一番奥、静寂に包まれた自宅で、渡辺さんは語り始めた。

「なぜここで暮らすんですか。何度も聞かれました。そして、そのたびに答えるんです。自分の古里、住み慣れた場所で暮らすことは当たり前ではないですか、と」
渡辺さんは、3人きょうだいの次男。小学校は片道2時間半かけ、歩いて通った。大学進学で地元を離れ、東京で30年近く働いたが、父親が亡くなり、母親が一人暮らしになったため、2003年に50歳代でUターンした。仕事をやめる不安はあったが、廃村にしたくないという思いが勝った。帰郷すると、子どもの頃15世帯80人だった集落は、5世帯7人に減っていた。主を失い、荒廃した家屋や田畑は痛々しかった。
「人も車も出入りがほとんどない」と言われた集落に光が当たったのは、07年のことだ。国が「地方再生」の旗を振り、市が限界集落の活性化を目指す「水源の里条例」を全国に先駆けて施行した。市役所から離れ、高齢化率60%以上、世帯数20戸未満といった集落を対象に、定住促進や都市との交流を支援する内容だった。市内最小集落の古屋は、他の4集落とともに第1号として指定された。
「そこからは奇跡のようなことが起こって」
古屋では、群生するトチの大木の実を使った特産品作りを始めることにした。市や府の補助金などを元に公民館の調理場を改修し、菓子加工の機材も導入した。
古屋地区でボランティアが収穫したトチの実。つややかな色合いに「山の宝石のよう」との声が上がる
担い手の中心になったのは、70歳代以上の高齢女性5人だった。90歳を超えてもバイクで
颯爽(さっそう)
と公民館に乗り付け、トチを使った餅やおかき作り作業に励む姿は「古屋のおばちゃん」として全国的に注目された。商品は観光協会のネットショップでも1、2を争う人気になった。
人が少ない、若者がいない、もう年だ――。後ろ向きになる理由を挙げればきりがなかったが、住民らは「できない、しんどいは言わない」を合言葉に忙しい日々を送った。
月に1度、京都市での「市」に出品する時は、朝の8時に間に合うようにと日付が変わった頃から公民館で準備し、5時頃に出発。夕方まで店頭に立った。「おいしかった。おばちゃんたちに元気をもらった。そう言ってもらえる、自分が何かの役に立っているのがうれしかったんですね。『90歳代になって、今が一番楽しい』と言ってましたから」
「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」。そんな理念を持つ取り組みに賛同し、都市や近隣の住民らは応援組織「古屋でがんばろう会」を結成し、ボランティアの中核としてトチの実の収穫や鳥獣被害防止、集落の伝統行事を支えた。渡辺さんは「多くの人との出会いも奇跡の連続でした」と振り返る。
未明から総出で作業に励む「古屋のおばちゃん」たちと(2011年6月、京都府綾部市で)
自身は、20年近く自治会長として活動の窓口の役割を果たしてきた。その間、何度も集落に危機が訪れた。
17年は台風で道路が土砂崩れで寸断され、集落が孤立した。停電の中、渡辺さんは山中を抜けて軽トラックを借り、約2時間かけて市役所にたどり着き、窮状を訴えた。住民たちは集落外で10日ほど避難所生活を強いられ、特産品作りや交流事業は中断に追い込まれたが、渡辺さんは「ここでやめたら、何もかも終わってしまう」と「おばちゃん」たちを励ました。
20年からのコロナ禍でも活動の縮小を迫られた。渡辺さんは「休止すればという声も分かるけれど、おばちゃんたちにとって1年は大きすぎる。生きる力になっている活動を、やらないということはない」と自らにも言い聞かせ、手を止めなかった。
「最初はみんな『嫌や』『年だから無理』とできない理由をつくっていたんです。それでも何ができるかを話していると、昔はワサビやシイタケを売った、あの頃は楽しかった、ものを作るのはいいなぁ、という話が出てきて、もう一回みんなでやってみようということになった。その時に約束したのが、『疲れた』『嫌や』は言わないでした。みんなしんどいのはわかっている。でも、口に出してしまうと、周りに広がってしまうから」
1人、また1人…
しかし、時の流れにはあらがえなかった。昨年までに住民7人のうち4人が他界。次第に活動量は減っていった。
渡辺さんの体にも異変が襲っていた。19年に脳
梗塞(こうそく)
で倒れ、ドクターヘリで兵庫県の病院に搬送、リハビリは今も続く。昨夏と今年1月にも救急搬送され、今年は4月まで市外の病院に入院した。99歳の母を施設に預けることになり、5月には一緒に集落を支えてきた90歳代の女性が亡くなった。
「20年近くよくやってきた。おばちゃんたちは最後の最後まで『疲れた』と言わなかった。体が動かなくなるまで…」。渡辺さんは、ホームヘルパーなどの福祉サービスを受けながら、初めて1人で迎えた冬を過ごす。
住む場所に愛着を持ち、住民同士が力を合わせ、一緒に生きてこられたことは幸せなことだと思う。インフラ維持など財政的な観点から、全国的に集落の移転や集約の議論もある中、真っ先に直面した過疎の課題に取り組んできた自負もある。
だが、日がな1人で静まりかえった集落にいると、言い様のない気持ちが交錯する。「都会にいても孤独を感じることはあるでしょう。でも、自分は本当に1人になった。体が動かないのは仕方がないけれど、今、何を言っても強がりになるのではないか」。リハビリを続ける左手を見つめる。「これまでは、古屋をもう一度元気にしよう、誰かのために頑張ろうという目標が張り合いだった。でも、今は自分のことで精いっぱいで」。もどかしさが募る。「もういいのかなぁ…。誰かのためという気持ちが弱まっていくのがつらい」
特産品作りはここ数年、「おばちゃん」の子ども世代が集落に戻った時に行うが、作業は滞りがちになっている。それでも、今秋も計200人のボランティアが訪れ、7日にわたってトチの実を集めてくれた。一部は府内外の集落に提供し、特産品作りに役立ててもらった。応援してくれるボランティアの存在は、いつも背中を押してくれる。「誰もいなくなれば、交流は途絶え、家屋は朽ち、除雪も入らなくなる。自分が暮らすことで古屋の歴史が続くなら、やれることをやっていきたい」
「水源の里」の取り組みが進められきた古屋地区。渡辺さんは、公民館や空き家に滞在してもらい、静かな環境で物作りや雪遊び、自然観察を楽しんでもらえないかと構想を巡らせている限界の先、これから
各地で人口減少が進み、限界集落が増える中、最近、他の地域でも活性化の動きが鈍くなったようにも感じる。「U・Iターンして個人的に成功している人はいても、集落全体の取り組みにつながっていない。後継になる担い手が育っていないのではないか」
集落を元気にするためにはどうすればいいのか、話を聞かせてほしいと、訪ねて来る人もいる。問題を抱えているのは、古屋だけではない。改めてそう思うと、「集落の語り部になりたい」という気持ちが強まってきた。
「これまでの活動で培った経験を伝えていきたい。おばちゃんたちが、どんな思いで頑張ってきたのかも。いいことだけではない、集落の栄枯盛衰の全部を。そして、やっぱり古屋を廃村にしたくない」
今、74歳。「おばちゃん」たちに追いつくのはこれからだ。そんな強がりがあってもよい、と感じている。
5年間で全国の63集落が無人に
国土交通省によると、対象とした過疎地などの7万8485集落のうち、住民の半数以上が65歳以上の「限界集落」の割合は40・2%で5年前の前回調査(29・2%)から10ポイント以上増加した。
2019年以降に転入者がいるのは42・8%。道路・用排水路・河川などは47・1%の集落で「管理不十分」「荒廃」だった。
「10年以内に無人化する可能性がある」とされたのは488集落。前回調査で10年以内の無人化が予測された499集落のうち63集落が無人化した。
集落の維持・再生には支援する人材も欠かせない。前回より増えているが、集落支援員が28・8%、地域おこし協力隊などが22・0%となっている。
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