スケートボードの世界では、「何ひとつ約束されたものはない」というのが広く受け入れられた真実のひとつである。

わずかな差で勝敗が分かれるこの競技では、ほんの小さなミスが致命的な結果につながることもあり、成功が保証されることはめったにない。

それでも、確かな「兆し」は存在する。無視できないほどの才能を示すいくつかの指標──それらすべてが今、韓国のカン・ジュニを指し示している。

2024年11月10日。16歳のカンは、年に一度の名門アマチュア大会タンパアマで、見事な最終ランを決めて優勝。その栄えある勝者リストに新たな名を刻んだ。

フロリダで行われるこの大会は、プロを目指す才能あるスケーターたちが実力を証明し、道を切り拓く場としても知られている。過去の優勝者には、ナイジャ・ヒューストン(2005年)やフェリペ・グスタボ(2007年)をはじめ、近年では青木勇貴斗、グスタボ・リベイロ、ダショーン・ジョーダン、オーレリアン・ジロー、そしてオリンピック2大会メダリストのジャガー・イートンらの名が並ぶ。

そのような舞台で、人生を変えるチャンスに満ちた激戦を制したという事実は、誰もが注目すべき才能を証明している。

実際、カンにとってそれはまさに人生を変える出来事だった。

「タンパアマで優勝したことで、自分のスケート人生は完全に変わりました」と、カン・ジュニはOlympics.comの独占インタビューで語る。

「あれはアマチュアの最高峰の大会。だからコーチに“経験のために出てみろ”と勧められたんです」

「でもあの決勝を振り返ると、本当にドラマのようでした」と当時を思い出す。「予選を1位で通過したので、僕が最後の滑走者だったんです。でも、最初の2本は失敗してしまって……。優勝候補の1人佐々木音憧選手が僕の直前に滑ったんですが、彼もミスをしていて、それで僕もパニックになりました。息が苦しくなって、でもコーチがずっとそばにいて落ち着かせてくれたんです」

「最後のランがどうだったか、正直あまり覚えていないんですが、最後のトリック──ノーリー270ヒールフリップ──を決めることができて。あれが僕の人生最高のパフォーマンスでした」

アメリカでの鮮烈な優勝は、スケートボード界における自分の見られ方を一変させたと、カンは感じている。

「周囲の見方が変わったのを感じます。タンパアマ以前の僕は、ただの“韓国から来たスケート少年”だったけれど、今は“あいつ誰だ?”って驚かれてるのが分かるんです」

それは同時に、自分自身とスケートに対する意識の変化でもあった。

「もともと自分のことを信じてはいたけど、タンパアマの後はその気持ちがさらに強くなりました。なんか、自分がソン・フンミンになったみたいな気分です」と笑顔で語る。韓国男子サッカー代表のキャプテンであるスター選手になぞらえた。

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