湖の近くの介護施設で起きた不審死事件をきっかけに、人々の心の
澱(おり)
がうずき出す。原作・吉田修一、監督・脚本は大森立嗣による「湖の女たち」は、ジャンル分けすれば「ミステリー」ということになるのだろうが、事件の謎解きをするだけの映画ではない。物語が進むにつれ、思わぬ形で姿を現すのは、闇に葬られてきた過去、抑圧されてきた人の思い。何が「今」を作っているのか。どうしてこんなに息苦しいのか。この映画はぐんぐん分け入る。きれいごとからあえて逸脱して切り結ぶ。(編集委員 恩田泰子)

国境の森で「兵器」にされた人々…映画「人間の境界」、ポーランドの巨匠が描く過酷な現実

濱中圭介(福士蒼汰)と豊田佳代(松本まりか)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会濱中圭介(福士蒼汰)と豊田佳代(松本まりか)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会 大森監督による吉田作品の映画化は、2013年の「さよなら渓谷」以来。実を言えば、最初は見ながら戸惑った。一番の理由は、主人公の男と女の関係。福士蒼汰が演じる刑事と、松本まりかが演じる介護士のつながりは、普通の恋愛とは明らかに違うが、ただの遊びでもない。常識を逸脱して、どんどん転がり、ただならぬ気配を帯びていく。いったいこれは何なのか――。ともかく、まずは物語の概略を。

 琵琶湖の近くの介護施設で、ある朝、100歳の入所者、市島民男が死んでいた。彼の命綱になっていた人工呼吸器に誰かが手をかけた疑いが浮上。西湖署の若手刑事・濱中圭介(福士)は、ベテランの伊佐美(浅野忠信)に従って、介護士の松本(財前直見)を犯人と見立てた強引な取り調べを進めていく。ベテラン刑事の伊佐美(浅野忠信)ベテラン刑事の伊佐美(浅野忠信)
 同じころ、東京から週刊誌記者の池田(福地桃子)がやってくる。目的は17年前にこの地域を揺るがせた薬害事件の取材。50人もの命が奪われたが、立件直前に圧力がかかり、捜査に尽力した西湖署の刑事たちは無念さに
悶(もだ)
えた。若き日の伊佐美もその一人だった。
 やがて浮かび上がってくるのは、死んだ市島と薬害事件関係者、そして旧満州で人体実験を行っていた旧日本軍「731部隊」のつながり。記者の池田が市島の妻・松江(三田佳子)を訪ねると、松江はハルビンの湖で見たものについて、語り始める。 ただし、この映画は歴史ミステリーではなく、現在を生きる人間たち、ひいては人間そのものを凝視させる物語だ。積み重ねられた過去、抑圧の力学……。そうしたものが、さまざまな登場人物たちの今とつながっていることが、多面的に描かれていく。介護士の松本(財前直見、左)と佳代(松本まりか)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会介護士の松本(財前直見、左)と佳代(松本まりか)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会
 とにかく「結果」を求める警察署幹部、高圧的な伊佐美。誰かに圧を加えられた誰かが、また別の誰かに圧を加える。彼らが考え出した、松本の犯行の筋書き(原作では担当検察官のプロットをもとに伊佐美が完成させたとされている)には、ヒエラルキーの中で生きる彼らの
鬱憤(うっぷん)
が見え隠れするようでもある。
 そして濱中は、抑圧の連鎖の下流にいる。既婚者で、妻との間に子供も生まれるのだが、捜査を通じて出会った介護士、豊田佳代(松本)に目をつけ、つきまとい、やがて奇妙な性的関係を結ぶ。佳代(松本まりか、左)と濱中(福士蒼汰)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会佳代(松本まりか、左)と濱中(福士蒼汰)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会 佳代は、濱中の前ではなぜか終始おどおどしていて、ほとんど、なすがまま、言われるがまま。男に女が服従するというのは、図式としては家父長制的。だが、ふたりの関係は、ほかの登場人物の人間模様と交錯しながら転がって、あらゆる枠からはみ出していく。「正しさ」を逸脱しながら、熱を帯び、エスカレートしていく。淫びで見ていられないと思うが、その一方で、2人がどこにたどりつくのか見届けたくなる。
 このフィクション映画は、現実を濃縮し、増幅し、
強靱(きょうじん)
なイメージや俳優たちの演技を通して描き出す。「お国のために」で懲りたはずなのに、「生産性」という言葉が
跋扈(ばっこ)
するのを。誰かの「生きる意味」「生きる価値」をほかの誰かが規定しようとするのを。負のループに取り込まれるのは大人ばかりではないことを。
市島松江(三田佳子、左)と雑誌記者の池田(福地桃子)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会市島松江(三田佳子、左)と雑誌記者の池田(福地桃子)=(C)2024 映画「湖の女たち」製作委員会 かつての光景、今の光景。どうしたらそこから抜け出せるのか。気が付けば、映画と現実の、彼我の境は溶けている。 折に触れ、映し出されるのは、刻々と色を変え、さまざまな表情を見せる深遠な湖。人をはっとさせる女たちの言動。そして人間の性。人をのみ込む負の連環を描くと同時に、それに裂け目を入れるものを探り当てていく映画とも言えるだろう。果敢に逸脱を演じた福士と松本をはじめ、泥水をたっぷりのんできた刑事役の浅野、ぼろぼろになりながらもあきらめられない女を演じる財前ら、俳優たちの枠を破る演技も心に残る。◇「湖の女たち」
=上映時間:141分/製作幹事・配給:東京テアトル、ヨアケ=5月17日から全国公開