イラスト・鶴岡さくらムササビ先生は東京の西郊、武蔵野の森に住んでいる。日々、何をしているのかというと、美術の枝から文学の枝へシュッと飛び移り、はたまた文学の枝から美術の枝へパッと舞い戻り、面白い木の実でも見つからないかなと探している。
『三井大坂両替店 銀行業の先駆け、その技術と挑戦』萬代悠著
その探しものに重宝しているのが、ほかでもない、「読売新聞」の記事を検索できる「ヨミダス」である。1874年(明治7年)の創刊から今日まで、日々発行されてきた紙面イメージを見られる。情報量は膨大で、こんなおもしろいものはないと、ムササビ先生は思っている。2024年は、その「読売新聞」の創刊150年にあたるという。そこで、ためこんだ木の実の幾つかを披露してみるのはどうだろうと考えた。どれも小さな木の実ばかりで、マニアック過ぎるだろうとあきれられそうだが、まずは藤田嗣治の若き日の話からはじめてみよう。「よみうり抄」に記録された「漫画展」単なる情報の羅列のようで、これを目当てに「読売新聞」を読む人もあったと言われる欄がある。作家や画家たちの人事情報を集めた「よみうり抄」である。
1912年6月22日付の「よみうり抄」。細かな情報がびっしり明治時代の半ば、1898年にはじまった欄で、大正、昭和に至るまで、ほぼ毎日掲載され、転居、旅行、会合や執筆予定、展覧会、さらに病気療養といったことまで、こまごまとした情報を拾っている。同一タイトルで長期間続いたこと、情報量の多さから、他の新聞・雑誌には類を見ない欄と言ってよい。文化史を研究する人たちにはありがたい情報ソースである。
かく言う私、ムササビ先生も、ちょくちょく使う。いまは世に知られぬ人たちも多く、こういう
些(さ)事(じ)
の積み重ねこそが文化の本体というものではないかと、ふと思ったりする。むろん著名な文化人の、案外知られていない情報を見つけ、にわかに好奇心をそそられることもある。
パリで成功を収めたのち、1933年に帰国した藤田嗣治(左)。1933年11月17日付夕刊よりしばらく前のこと、明治末年、大正改元の年である1912年、「よみうり抄」に、藤田嗣治(1886~1968年)の記事がいくつか出てくることに気づいた。よく「世界のフジタ」と言われるように、乳白色の絵肌が印象的な裸婦などを描き、1920年代のパリで大成功を収めた、巨匠中の巨匠である。とはいえ、1912年と言えば、のちの巨匠もまだ20歳代半ば。ほとんど無名の青年画家でしかなかった。陸軍軍医の家に生まれた藤田は、東京美術学校(現・東京芸大)の西洋画科に学び、1910年に卒業した。念願のフランス渡航が決まり、日本を旅立つのは1913年6月のことになる。その前年にあたる1912年はつまり、まだ何者でもなく、同窓の仲間たちと帝国劇場の背景画を手伝ったりしていた。そんな若き日の動静がいくつか「よみうり抄」に報じられているのである。
1912年6月22日付「よみうり抄」より、琅玕洞での半切画展の記事1912年の「よみうり抄」で、最初に藤田が登場するのは、6月22日付の「半折画展覧会」である。二十二三両日琅玕洞に於て藤田嗣治、近藤浩両氏の半折画を陳列する由
藤田とともに名前が記される近藤浩は、東京美術学校で卒業同期だった画家、
近藤(こんどう)浩一路(こういちろ)
(1884~1962年)のこと。その人となりについてはのちほど記すが、ここでは本名の
浩(こう)
である。また、「
半折(はんせつ)
」(半切)は、掛け軸の紙の寸法のことで、幅35センチほど。手ごろな掛け軸の展覧会、ということになる。
そして、会場の
琅玕洞(ろうかんどう)
は、1910年、詩人・彫刻家の高村光太郎が神田淡路町に開店した画廊である。1年後には経営を移譲するが、本邦初の西洋式画廊とされ、新進洋画家の作品を展示・販売したことで名高い。
もっとも、立派な油絵ばかり扱っていたわけではない。
6月22日付「よみうり抄」は、藤田たちの展覧会に続けて、「アネサマ展覧会」の記事を載せている。これは6月24日から5日間、同じく琅玕洞で開かれた田村俊子、長沼智恵子の展覧会で、小説「あきらめ」で世に出たばかりの作家の田村俊子が紙のあねさま人形、そして、のちに光太郎の伴侶となり、詩集『智恵子抄』にうたわれることになる長沼智恵子が
団扇絵(うちわえ)
を出品した。
藤田と近藤浩一路の半折画、田村俊子の紙人形、長沼智恵子の団扇絵と、琅玕洞が売りやすい小品をも扱っていたことが伝わってくる。
1912年6月25日付「よみうり抄」より、近藤浩一路と藤田の記事さて、「よみうり抄」で、琅玕洞の半折画展に続くのは、やはり藤田と近藤浩一路ふたりの記事で、6月25日付に掲載される「漫画展覧会」である。二十六日から三十日まで、大久保文学倶楽部に於いて近藤浩、藤田嗣治両氏の漫画を陳列展観せしむあのフジタが漫画展? むろん漫画と言っても、ストーリー漫画が台頭するのは昭和時代になってからだから、今日の漫画とはまるで違っていたはずだが、それでも、ちょっと目をひく記事には違いない。
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