2011年9月の紀伊水害で亡くなった和歌山県那智勝浦町の中平幸喜さん(当時45歳)の愛車が、発生13年でよみがえった。水没して故障し、修理は難航したが、兄の建設業、敦さん(65)(三重県御浜町)が「弟の形見を大切にしたい」と知人の協力も得て修理業者を探し当てた。29日に和歌山県新宮市で開く幸喜さんの追悼行事で披露する。(和歌山支局 清水美穂)紀伊水害で亡くなった中平幸喜さんの愛車・三菱ギャランGTOの復活に笑顔を見せる兄の敦さん(左)と中村さん(和歌山県新宮市で)=写真は一部修整しています紀伊水害で亡くなった中平幸喜さんの愛車・三菱ギャランGTOの復活に笑顔を見せる兄の敦さん(左)と中村さん(和歌山県新宮市で)=写真は一部修整しています

 新宮市内の駐車場で、白いスポーツカーが豪快なエンジン音を響かせた。幸喜さんの愛車で、1970年代に人気を集めた「三菱ギャランGTO」。敦さんは「幸喜が知ったら、『ほんまに直したんか』って驚くやろうなあ」と笑う。 大の車好きだった幸喜さん。市内で中古車販売店を営み、店のガレージに愛車を止めていた。いつも手入れを欠かさず、大切にしていたという。 2011年9月3日の夕方、店の周辺が冠水し始めた。幸喜さんは店におらず、約25キロ離れた自宅にいた。店の近くに住んでいた敦さんは幸喜さんのために、車を高い場所へ移そうとしたが、エンジンがかからなかった。 幸喜さんに電話で尋ねたがうまくいかない。「兄貴、危ないから逃げて」。そう促され、自家用車で高台に避難した。その後、幸喜さんは土石流に巻き込まれ、妻と3人の子どもと遺体で見つかった。「弟たちにも早く逃げるよう強く言うべきだった」と悔やんだ。 幸喜さんの愛車は水没し、土砂が入り込み、ガレージに止まったままだった。数年がたち、少し気持ちが落ち着いた頃、敦さんはいくつかの業者に修理を依頼したが、「水没して数年も放置した車の復活は絶対に無理」と断られた。 その話を聞いた敦さんの知人で同市の建設業、中村進太郎さん(41)が、つてをたどり、修理を請け負う店を見つけた。「仕事上で恩義があった敦さんを喜ばせたい」と一肌脱いだ。 20年5月に始まった修理は大がかりなものになった。全体的に激しく傷んでおり、再利用できたのはハンドルやシートなどごくわずか。その他の部品は方々から取り寄せて組み立て直し、4年かけてようやくほぼ元の姿に戻った。 快活で、人気者だった幸喜さんに思いをはせてもらおうと、敦さんは追悼行事を企画した。29日午後1時から新宮市の丹鶴ホールで、復活した愛車を見てもらうほか、修理の経緯を紹介し、遺族があいさつする。「幸喜の友人だけでなく、車が好きな人も自由に来てほしい。災害を忘れないための機会となれば」と願う。◆紀伊水害=
2011年9月3~4日、台風12号に伴う豪雨で河川の氾濫や土砂災害が各地で発生。和歌山、奈良、三重3県で88人の死者・行方不明者(災害関連死を含む)を出した。

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