人間の力など到底及ばない大自然の神秘に触れたとき、人生が大きく変わることもある。松本峠を案内する福田さん(熊野市で)松本峠を案内する福田さん(熊野市で) 熊野古道のガイドを務める福田美紀さん(52)は「生きる目的が見つからず、『人生の迷子』になっていたが、熊野古道に救われた」という。

 幼い頃から絵を描くのが好きで、プロのイラストレーターを目指し、大阪で技術を磨いた。だが、生計を立てるのは難しく、22歳で故郷・紀宝町に帰った。家業の鉄工所を手伝い、心の空白を感じながら日々を過ごした。■100キロ踏破 熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は2004年7月、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産に認定された。国内外で熊野古道への関心が高まり、様々なガイドブックや解説本が出版されるようになった。 認定から約10年がたった14年、福田さんは近所にある道の駅を訪れ、何げなく1冊の本を手に取った。そこには、熊野古道の由来が書かれていた。古来、伊勢神宮や熊野三山に詣でる人々が歩いた道。巡礼者たちは、それぞれの祈りを胸に聖地を目指したという。 現状を変えるきっかけになれば――。そう考え、伊勢神宮から熊野速玉大社(和歌山県新宮市)までの熊野古道伊勢路(約170キロ)を歩くツアーに途中から加わり、後半の約100キロを歩いた。
 松本峠(熊野市)では、まっすぐな杉が立ち並び、時折、鳥の鳴き声だけが響く静かな森の中、
苔(こけ)
に覆われた重厚な石畳を歩いた。一枚岩の石橋は、大雨にも流されず、100年以上前から変わらずそこにあったという。
 峠を越えた先では、日本最古の神社とされる「花の窟」があった。45メートルの巨岩がご神体で、社殿はない。日本書紀に伝わるイザナミノミコトが葬られたとされる。古代の日本では、自然そのものが「神」として崇拝の対象だった。 ガイドは熊野古道の歴史や自然を丁寧に教えてくれた。沿道の住民からは、ぜんざいのもてなしを受けた。 半年以上かけて歩ききったとき、福田さんの心は晴れていた。「私もガイドになりたい」。そう考えたのは、「恩人」の熊野古道に恩返しがしたい、という意味もあった。■助け合いの道
 ガイドになってからの約10年間、福田さんは熊野古道にまつわる知識を蓄え、それを多くの来訪者に伝えてきた。最近は、
静謐(せいひつ)
で神秘的な古道に「癒やし」を求める人が増えてきたと感じている。
 昨年12月、県外から松本峠を訪れた中年夫婦のガイドを務めた。 「江戸時代の巡礼者は障害や貧困に苦しんでいた人も多かったようです。神にすがる思いもあったのではないでしょうか」。そう説明した。 石畳を歩きながら、「険しそうな道に見えますが、段差は低く、目が見えない人でも歩きやすい。昔の人々は、お互いに手を引いて、助け合いながら熊野を目指したのです」と補足した。 夫婦は、黙って説明を聞いていた。峠を歩き終えようとした時、それまで笑顔だった妻が突然、足を止め、こらえきれないように涙を流した。子供に障害があり、悩んでいたという。妻は「人生どうなってもいいと思っていた」と言った後、頭を上げてつぶやいた。「ここに来てよかった」 福田さんは、夫婦の姿にかつての自分を重ね合わせていた。これも、熊野古道が導いてくれた縁だと感じた。(根岸詠子)「自然崇拝」言語超え評価 熊野古道のある紀伊山地には、自然物や自然現象を崇拝の対象とする「自然崇拝」の形態が今も残る。
 熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)のご神体は、高さ133メートルの那智大滝。滝自体が別宮・
飛瀧(ひろう)
神社となっている。
 三重、和歌山県境を流れる熊野川の河口にある熊野速玉大社(和歌山県新宮市)は、川を神としてあがめ、氾濫をしずめる役割を担っていたと考えられている。摂社の神倉神社(同)のご神体は、花の窟と同じく巨岩で、「ゴトビキ岩」と呼ばれる。絶壁の上にあり、神が宿ると信じられてきた。
 こうした熊野古道の「スピリチュアリティー(精神性)」は、特に欧米からの外国人観光客に高く評価されている。言語を超えて感性に伝わるパワースポットとして、またSNSなどで「
映(ば)
える」場所として海外に紹介されている。

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