井口正人・特別講演「To the South」京都大学防災研究所研究発表講演会20240222
花壇活動研究センターの井口でございます えっとまタイトルはですねtoザサウスと いうわけのわからんあのタイトルにはし てるんですけどもこの理由については ちょっと後でご説明しますまあのま桜島 だろうというのはま皆さん容易に想像は つくところだと思うんですけどもそれで まず私の経歴なんですけど出身はあの岡山 県の北部で今で言えばは津山市ですねで えっと77年に津山高校を卒業しまして えっと4月にはえっと今理学部に入学して ますで大学院に進もうと思ったんですけど も2ヶ月しか進みませんでしたで大学院に 入った途端桜島に来ないかという話が ございましてですねそれで行くことになり ましたそれでま81年の6月には桜島火山 観測省の助手で採用されてそれからま 女教授ま現在はあの教授ですでま私の キャリアでまやっぱりあの1番の特色は ですねやっぱり各地施設である桜島にです ね43年間言い続けたということでですね これはまかなりあの他の皆さんと比べたら ですね移植なキャリアであろうという風に 思っておりますでまさにそのトゥザサウス なんですけどもやっぱりですねあのま あの大学のキャンパスっていうのはですね まやっぱり憧れであるわけですでそれで やっぱり桜島に行くっちゅうことはですね 場合によっては要するに都落ちみたいな 感じでですね見られることもま私は都ぼだ という風に思ったことは1回もないんです けどもで一番最初にその桜島に行くに あたってまあ1回あの加茂先生が見に来い ちゅって言ってですですねま行くことに 決めたんですけど京都に帰ってきてですね 岩田先生に俺は桜島に行くことにした ちゅって言うとですね岩田先生はお前よ 行気になったなちっ てと言ってですねまその頃はやっぱり あのやっぱり桜島っていうのはですねま あの防災研究所遠隔施設たくさん持って ますけどやっぱりその中でも1番遠い ところなのでですねあのやっぱりあの遠い ところであるという印象はあるんだろうと 思います でこのトゥザサウスなんですけどもまあの 兄弟のキャンパスから見た時に当然桜島南 にあるしですねでさらにその南には南西 諸島があるでさらにその南には インドネシアがあるのでですね実はこの3 つの意味をかけてですねあのトゥザサウス ということにえしましたそれでまこの3つ についてちょっとお話をしていってですね ま私はちょっとあんまり岩田先生みたいに 学術的な話は今日はほとんどしないので ですねええご容赦くださいそれでまず最初 の桜島なんですけどもえっとまずやっぱり 桜島の火山観測所がなぜできたのかちいう 経緯をちょっとお話ししますでこれは 1955年の10月13日に1番最初の 南岳の爆発が起きてですねでまその爆発ま 普通は噴火1回起きたら大抵終わるんです でところがですねその翌年になってから ですねやっぱり噴火回数がどんどん どんどん増えてきてですねまやっぱり地元 は非常に不安になりますでまそれは今から 110年前の対象噴火のような大規模噴火 が起きてるということでですねま結構あの 心配されてですねでその後でですねあの ささ健造先生がですねまあの吉川先生と 加茂先生連れてですね桜島に調査に行かれ たわけですでこの調査を受けてですねま 調査であの佐先生はあのこの噴火は長期化 するて言ってま何を根拠にあの長期化 するっ言って言ったというのはおそらく この地盤変動で対象噴火で沈んだ盤がその 頃でますでにかなり回復していたという ところが根拠になっていてですねまだけど 実際その佐先生はま適当に長期化するっっ て言ったのかどうか知りませんけど実際 その後え68年にわってですね噴火は ずっと続いてるのでですね結果から見たら 完全に当たっているわけですでそういう ことがあって鹿児島県があのま当時文部省 ですね文部省に陳情しましてですねそれで あの京都大学がですねえま担当するとで 京都大学自体はあの理学部には麻の研究所 がもうすでにできまできていましたこれ 昭和4年にはもうすでにできているのでだ けど要するにじゃあ桜島どこがやるかて 言うと戦後新たにできた防災研究所でやり ましょうということでですね防災研究所の 付属施設としてですね桜島火山観測書は 発足したということでございますそれでま あの1番最初はさ先生でですねその後は 吉川先生それからえっと3番目に加茂先生 これは私のあの恩師になってま私をあの 桜島に引っ張って来られた先生ですそれ からその後はえっと石原先生が引き継がれ てそしてま私はさらに石原先生をえ 引き継いで要するに現代になってるとま 観測書の象徴としては5代目であるという ことでございますさて桜島の なんですけどもま実際にこの私が不妊した 頃にはですねこういうようなあの爆発が ですねよく起きていましたで真っ黒い煙が 上がってですねそしてえ眼界が要するに 飛んでいくそして爆発の瞬間っていうのは 要するにあの衝撃波が走るのでですね山の 上が真っ白になるわけですねちょっともう ちょっといってこれがあこれが爆発の瞬間 なんでですね衝撃が出るんで山の上が 真っ白になるわけですねでこういうような 噴火がですねよく繰り返されていてですね そしてまこの活動を見ますと1955年 から始まってですねま第1期第2期それ からま途中で昭和加工に変わって今第3期 の活動になっているのですがまこの68 年間の間に1万5000回の爆発が起きて いるわけですでこのうちまあま私はまあ 大体この半分以上のところを桜島で勤務し てえ研究を続けてきたということでござい ますでこの1万5000回の爆発の中で ですねやっぱり思い出に残るというかです ね爆発が何個かありましてでその中の4つ をここにえ出しているんですけどもまず 1番最初にこの82年の8月24日の爆発 っていうやつなんですけどもえっとこれが つくのかなえっとここでえっと噴火が起き て火山がずっと出てますで観測書この辺り ですでこの時はですね本当に真っ暗になり ました昼間なんですけど要するに電気を つけないと何も見えないというぐらい 真っ黒になってですねま観測書で1cm えっと厚さで言うとあ重量で言うと 10kmですね厚さで言うと約1cmに なるんですけどもそれぐらいのあの風牌が 降りましたですからま昔はまこれが 当たり前の状態であったということですね それから2番目にですねこれはあの昔の 観測書があった春田山の校内にですねま 大体大きさで言うと1mぐらいの眼界が 落ちてきましたでこういう風に穴が開いて ですね実はこれあのアスファルトなので 噴石が落ちると一瞬にして火がつくんです よでアスファルトが燃えるんですでこんな ことが起きたんですが実は私この時にい ましたそして石が飛んでくるのが要するに 見えたので私は急いで逃げたのですが私の 頭の上を超えてさらに50m後ろに実は この石が落ちていたということですねでま 多分火山の研究者の中でもですね頭の上を 石を超えられたっていうやつはですねそう たくさんいないと思いますそれからこの下 のやつがこれがまこれ非常に綺麗ですよね 真っ赤になって雷がたくさん起きているで これがあの南岳の活動機の中でま私は最大 規模の噴火だという風に思っています そしてこれは2006年の昭和加工の噴火 です今までは南だけでずっと吹いていたん ですがその東の方の三3から新しい噴火が 始め始まってですねまこの活動がま数年 続いたということでありますでそういうよ な桜島で一体私何をやってきたかちいう話 をあのもうほとんど今日は作業の話しかし ないのでそれでやっぱり私があの桜島に その採用されたっていうのはですね あのこの第2次え火山噴火用地計画ここで 広域火山観測網っていうのはま実信の観測 点なんですけどもこの時に助手で採用され ましたそれで火山噴火余地計画ってのはま その当時74年から第1次で地震余地の方 がそれより10年先に先行していってます ので地震余地の方はすでに第惨事に入って いた頃ですねで実際に私がやったのはこの 第惨時第4次のところでですねま春山の 観測行動それからボアホールの地震系を 設置したということがあの私の主なえ当時 のですね仕事になってきますそれで実際に どれぐらい地震系を置いたかと言うとです ねこれボアホールの観測点なんですけど これで全部で8点ぐらいあると思います けどもこういうま最大で深さ350m ぐらいのボアホールの穴をま私が掘った わけじゃないんですけど掘るのは ボーリング算なんですけども掘って掘って ですねその下に地震系を設置したこれは まあ当時あのま地震余地もそうですけども 火山噴火余地もこの第3次の頃って1番お 金がついていた頃なでですねあの結構あの こういう新しい施設ができたわけであり ますでそこで一体何をやったかというとま あの研究的な話はこれだけですけどもま 当時ですねあのえっとa型地震A型地震 っていうのは普通の地震ですいわゆる地震 ですつまり先ほど岩田先生が口を酸っぱし て話をされたあの破壊によって岩石の破壊 によって起こった地震これがA型地震です でところがこういうそのB型っていうよう な前転押しなのでその4勝型にならない わけですでこういうような地震をあ研究し たというのがま私のあの学理論文のテーマ なんですけどもその位置を決めてそして メカニズムを決めてその稼働内で起こる 地震であるということをま明らかにしたと いうことでありますそれからこの第3次の 観測計画の中でですねはるたまに観測行動 ができましたでこの観測行動自体はですね それ以前からですね地震余地計画ではです ね全国で至るところにもう穴を掘りまくっ てですねあのま宮崎の観測行動もそうです けどもそこら10で作ったわけであります でま地震余地の方の観測行動がどれだけ役 に立つかどうかは私は言いませんけどもま 少なくとも火山の方で言うと観測行動で やると非常にいいデータが取れてそれで こういう爆発の前にですねあの龍気そして 膨張ということがですね確実に捕まられる ようになったわけですですねである意味 その火山のその余地研究から言うとですね ある意味確実に捉えられる変動なので確信 的ない要するに観測技術をですねまこれは 結局地震の方の技術をインポートしたこと にはなるんですけどもあの有効に使える道 ができたということでありますでただし ですねこれほとんど石原先生の研究成果 ですで私一体何やってたかというとですね ほとんど監督職員ですであのこれは当時は ですね大学の施設部があの施工管理をして います今だったら要するに施工管理って 業者に丸投げしてしまうので楽なんです けども昔は全部やってたでところが施設部 は京都からいちいち桜島に来るわけには いかないので私が監督職員の任命を受けて それで要するにその四トンネル区する時の 四方を1個立てるごとに先生写真に移って くださいってつって言ってですねま ほとんど朝から晩までですねもうこれに あのつきっきりになっていたわけですね ですからま私にとってはこの観測行動を 作ってたという頃がですね まあ精神的には1番きつかった頃 ですでまだけどそういうこともあってです ねまこの観測行動の技術ってのは後で役に 立つということになってくるわけであり ますそれで次にですねじゃあ男性諸島の話 をしますでま桜島ここなんですけどもその 南にですねさい口の選ぶ島諏訪瀬島という まあの活発な火山が要するにたくさんあり ますでここのところでですねやっぱり新た な観測点をですね観測を構築したというの がま私の仕事ですで今ですとあの気象庁は ま火山についてもですね当初部を含めて ですねやっぱり全国展開してるんですけど 昔は要するに気象庁は機動観測しか臨時 観測しかやってなかったわけですですで それを定説観測化させたっていうのがま あのま当時の私の仕事であるわけですで 実際にどんなことをやったかというとこれ まさ洋司という島なんですけどもこれ ずっと噴気があの流れていますであのそれ からえっと南にはこういう機械から カルデラというま非常に大きな活動これ 最後の日本で最後の巨大カルデラ噴火をし た噴火だという風に言われてるんですけど もこういうようなとこがあるでまこのさ 岩島っていうところにですねまこのさ岩島 っていうのはですねえっとあの平安末期に ですね石金の陰謀でですね瞬間索子がです ね捕まえられて流された島ですで彼は 要するにあの京都に帰還することはでき なかったんで私も京都に帰還できてないん ですけどもあの一生でここで終わったわけ ですねそれでそこんとこで実際にまこう いう島の中に観測点を作ってま震源決定を できるようにしたそれから諏訪野瀬島です けどもこれ非常に活発な火山ですまこう いうとこに加工があってですねこういう ような爆発をですねこれ結構綺麗ですね あのこういうような爆発をですねまあ1日 にもう何百回もですねやるようなそういう 活発な火山ですでこういうような火山で 一体何をやるかったかと言うとですねま これ加工でですね離れたところでま大体 500mぐらいしか離れていないんです けどもそこのところに交代機地震系を設置 してですね観測すると爆発の前にですね やっぱり地面がこういう風に上に 持ち上がってくるということがですね 分かったわけですねですからまこういう ような観測するとですねやっぱり爆発の前 の現象ってですねやっぱり確実に捕まえ られるということがですね分かっていたわ きたわけですそれからこの口並ぶこいつが 1番あの私にとっても重いんですけどもま あの口の選びっていうのは八島の西の 14kmぐらいにある島ですでこの火山 っていうのはまあの非常に活発ですあの 結構えっとここ死者多数とかですねここで 視聴者34名とかちって書いていてですね やっぱりあのあ島あんまり大きな島では ないので噴火起きた時に住民の犠牲者が出 ていたわけですねでここのところで観測網 を設置していたところ2014年からま 2020年ぐらいまでですね非常に活発な 活動があったこの話をしたいという風に 思いますそれでまず観測網としてはどんな やつをやったかというとやっぱりあの地震 が小さいので加工の周辺にまあのこれは 単子期とそれから交代機の地震を系を併設 したんですけどもま置いてですねそしてま 非常に浅いところま深さで言うと500m 一線のその震源をですね着実に捕まえ られるような観測体制を取ったということ ですでま地震系をたくさん置きますとこう いうメカニズムを決められるのでそうする と生山総画と火山では非常に正断層の地震 が多いですからそういうそのここの構造に えま整合的な要するにえメカニズムが得 られたということですでさてその活動なん ですけどもでえっとま当時基町庁の観測点 なんてありませんからで京都大学が観測 始めたのは 1990これ正確に言うと1年の12月な んですけどもこっから観測を始めていった だけどもこの地震の回数が99年の7月頃 から急激に増えて行ってその後群発が何回 も繰り返されるようになってきてそして 2014年の8月の噴火を迎えたそれから これはgnssのキャンペーンの観測なん ですけどもま最大で230cmぐらいの ですね水平あるいは上下のですね変異を ですね確実に捕まえられるようになってき たで当時はイサーなんてありませんから今 だであればイサーで上から見たらそんな もん分かるでしょうみたいな世界なんです けどもまこういうやつを確実にその地震 活動の活発化それから自慢変動というやつ を捕まえることができたわけですでその 2014年の噴火の後2015年の噴火 っていうのがありますでこれはその時に その火災流こういう火災流が出てきてこの 新だけの加工から加西流がま大体この集落 の近くまで流れていったもんですからその 基町庁はですね噴火警戒レベルを5に 引き上げましたで噴火警戒レベル5=避難 ということなのででえまこれあの口の選ぶ 島っていうのは八島ですね八島町があの 行政地域になっていますので八島町は前島 に対して要するにえ避難指示を発令して 137名がですね避難したということが ありますである意味この避難というのは ですねま基町庁が噴火警戒レベル噴火警報 を発表したのが2007年の12月以降 ですこれはあの緊急地震速報が出始めった 時と同じタイミングですでこれで初めての 噴火警戒レベル5避難が行われたという わけですでところがこの噴火警報自体は ですねその噴火が起きてから出てあの発表 されているのですが私は要するにそのその 前に要するにつまり事前避難ができたんで はないかという風に思っているわけですね でその理由はその2014年8月の噴火が 起きた後にえっとまこういう地盤の膨張 ですねこれ収縮してるんですけどこれ焼島 と口ラブの間があの縮まったということで 口ラブが膨張してますでそれと同時に火山 ガスの量が非常に増えてきて地震も増えて きたそして3月にはこういう替が見られる ようになってきたわけですそして最後の 極めつきは噴火の6日前に夕刊地震が起き たでか風の場合ですと夕刊地震が起き るっていうのは珍しいことですでマグネ3 でも十分大きな地震なんですねでその タイミングで私は要すにその気象庁に噴火 警戒レベル5避難にしろという風に言った んですけども気象庁はそんなことはでき ませんという風にですね私のあの助言を ですね見事に却下してくれたわけですで 却下したのはいいんだけど噴火が起きて しまったからしょうがねえからレベル5に 上げたということが要するにえま最後の 顛末ですねただ要するに私の反省としては ですねやっぱりこの噴火系警報噴火警戒 レベル5に要するに上げさせることが 要するに目標であったような気がしますで 本当は要するにレベル5の警報を出すのが 目的ではなくて避難させるのが目的だった のでそのそもそも基町庁に言ったっていう のが間違いだろうという風に思っていて ですねそれは今後どういう風に決つける かっていうのはまた後で話をしますで3番 目ですインドネシアですでインドネシアっ てのはやっぱりあの1207の活火山を 持っていてですねまやっぱり火山の数は 非常に多いということとそれから日本と 同じようにですね活火山と住民が住んでる 距離がやっぱり短いと非常に近いところに 住んでいるこういう特徴があって過去には まあのこれ えっと死者数1000人以上のやつだけ 書いてますけどもやっぱりあの非常に深刻 なですね火山災害が起きていますでま やっぱりこういうニーズが高かったわけ ですからで防災権としては要するにその インドネシアの火山っていうのはに対して どういう風にしていきたかということです ねでまこれ1991年94年から98年 これ文部省のえっと国際防災の10年 idnrっていうのが あのを実施していますでその中でま我々は あのインドネシアのグドール火山とメラピ 火山についてですね観測網を構築していき ましたそれからその後はまああのジャイカ の技術協力プロジクトとか家憲費をつい あの使いながら食いついでいったわけです けども2008年になりま要すに サトレストランシステ っていうやつあってそしてえっと2013 年には火山紛物の法数に伴う災害の軽減に え関する総合的研究ということでですねえ 実施していますそれでこの話をちょっとし たいんですけどもまこれが実際に軍 トゥール火山で置いたえっと観測点の位置 とこのえっとプラスが観測点の位置なん ですけどもこれで今までインドネシアの カって基本的に一点観測だけですで1点の 地震記録だけで彼らは避難支とか避難をさ せるわけですだからかなりあの インドネシア人については勘がいいんです よそれでそのま我々はですですねじゃあ1 点だとやっぱり震源が決まらないのでそれ で少なくとも4点観測化させたということ ですそれからもう1つはやっぱりアナログ の観測からやっぱりディジタル観測に移行 させていったということをやりましたでま これが軍トゥール火山ですでところが問題 になってくるのがですね2010年の メラピ火山の噴火ですでメラピ火山の噴火 はですねこれはやっぱり140年ぶりの ですね非常に大きな噴火でですねま地震活 とか盤変動が非常に大きかったので10月 25日にはですね警戒範囲を10kmと する範囲をから人を避難させて6万 19000人が避難していますそしてその 日の10月26日の夕方にですね爆発が 起きてまこれ40名の犠牲者が出てますで この40名の犠牲者はなぜ出たかというと 避難指示が出てるにも関わらず避難しない 人がいたからですでこの10月25日って いうのは私は非常によく覚えているんで ですけどもこの日はですね朝からですねま 前の日からそうなんですけどもジャカルタ から要すに大雨が降ってですねまず要する にバジルフラッドのあのニュースがず1日 えっと朝の間はずっと出ていたわけですね でところが要するに10時ぐらいになり ますと前日にですねえスマトラのマンタ ワイ諸島でですね実は前日にその津波地震 が起きているんですねでこの津波地震が 起きてるとは私もスマトラにいましたで 大した津波自身ですから大して揺れては ないんですけど津波によって400人 ぐらいの人が亡くなってしまったわけです ねで昼頃からこういう情報が入ってきて ですねそして夕方になって極めつきはこの 火山の噴火でとどめをさせたとでこの日の 10月25日っていうのはインドネシアで は要するにフラッドと津波と火山の噴火と ですね1日中大騒ぎをしてたという日です ねでところがですねこれで収まらずにです ね10月え11月3日からですねえっと 活動がさらに高まってですねそして11月 5日にはですね警戒範囲の20km4万人 が避難していますでその中でやっぱり葛西 流が18km流れてそして360名の方が 要するに火災流で亡くなったということが ありますでそこんところでその インドネシアの湯の大統領がその後なん ですけども日米の火山専門家を派遣を要請 していますでその時に外務省がが動いてえ ジ下の国際緊急援助隊の派遣を決定した つまり火山の研究者を要するに緊急援助隊 で派遣したでところが研究者をその緊急 援助隊で派遣するってのはこれ極めて異例 です普通は例えば地震が起きたらあの消防 の人しか行かないのででかなり異例なこと なんですけどもまかなり要するに状況がま 今後の見通しが分からなかったということ がその理由にありますでま調査は1週間 ぐらいでしかなかったんですけどもその後 にそのインドネシア政府にですねま火山 観測に関する強化の提言と6項目の提言と いうのを日本大使からえインドネシア政府 に渡していただいてますそれからその後 外務省から感謝上いただきましてそれで 公共において天皇工合両陛下に謁見する ことができましたでその時に交合陛下から 私は言われたことはですね火山の研究者は 火山のそにいないといけませんねちゅって 言われたわけですよ で前の皇室っていうのは火山に対して非常 に同形が深かったわけですだからやっぱり 火山の研究者は要するにちゃんと火山の そばにいないといけないだから要するに核 施設も大事にしないといけませんねって いう話なんです ねでそういうことがあってですね サトレストランシステこれ積もる量をつま あえっと高配量を見積もってそしてその辺 雨が降ります雨が降ると今度はドス流ま インドネシアで言やラハールが出てくるの でその火山の観測のところからそれから 要するに土砂移動土砂災害前田をですね 一期痛感でやりましょうというそういう プロジェクトを出したわけであり ますでこれがうまく採択されてですねこれ 2013年この年は僕はやっぱり結構 すごいなと思っ持っていてですねこれ私の 研究課題ですからこれ中川先生の バングラデシュですつまり防災案件って 大体サレスの2件しか通らないんですけど もこの2件を防災権が独占してしまった わけですよでこれ防災権としては初めて今 ですと皆さん結構サレやっとられるので あのやっとられるんですけどもこれ防災権 としては初めてですでだけど2件独するっ ちうことはこれ防災権のやっぱりあの ダイバシティのすごいところなんですねで それは4つめこれ火山と河川じゃ違う でしょうちゅう話だから通ったと思うん ですがまこういう風にできたわけですであ まそれでま皆さんもですね私は今 サトレストランシステなのでで防災権とし てもですね今後どんどんどんどんあの提案 をですね出してくださいということを是非 お願いしたいという風に思ってますそれで このサトレプスでですね実際にやったこと はですねこれハザードマップを作ったと いうことですでこれ紙のハザードマップっ ていうのは従来からできているんですけど もまやっぱりその膨大なシミュレーション をやってそれでプレアナリスな データベースを作りますでプレイアナリス のデータベースをこれは要するにあの イベントチーンを含むんですけども火山の 場合ですと火災流から火災流のイベント チェーン火災流から土石流のイベント チェーン土石流から土石流へのイベント チェーンみたい非常に複雑なことを考え ないといけませんでそれを含めてプレ アナリシスのデータベースのハザード マップのプレイアナリスデータベースを 作ってそして観測データからその最適な プレアナリスデータベースにアクセスして あ最的なえハザードマップを中止すると いうことをやりましたこれがあの結果です さて最後のまとめの章に入ってきますけど もまそして桜島ですそして考えないといけ ないのは大規模噴火ですねでこの大規模 噴火を考える理由はま対象噴火の時にえま 大規模噴火が起きて地盤はアイラカルデア の周辺の盤は80cm進行したのですが その後110年かけて72CM流記してき たつまりその対象噴火で失われたマグマの ほぼそれに相当するような量は110年の 間にすでにアイカルデの間に蓄え下に蓄積 したということはもうすでに分かってある わけですでそこのところでまず一体我々は どうするかということなんですけどもそれ でまず考えないといけないのは桜島の マグマシステムでマグマ止りがあるのは ここです噴火があるのは桜島ですそして アイラカルデの下から桜島にマグマが供給 されていてで大規模噴火だとこのマグマ 供給するマグマの量が増えるという風に 思っていますそこで要するにそのえその時 に加入してくるマグマが増えてるいうこと をいち早く検知するためにその従来春山と 有村には観測行動ががあったんですけども 3番目の観測行動を北の方に作ったという ことですねこれが2016年ですでこの 観測行動をまあのできたっちゅうのは私は 非常に幸せなことだとは思うんですけども やっぱり春山の観測行動をやってですね やっぱりま当時私はあのそれなに苦労した と思うんですけどもその時のやっぱりノー ハがやっぱりこの時の観測行動を設置に ですね生かされたという風に考えています そしてその後ですねまこういうその時々 ですね別のマグマが入ってくるんですけど もこの別のマグマが入ってきたってのは 2015年の8月15日でえ群発地震と ですねえまこの時1000回ぐらい1日に 1000回の群発地震が起きてますそれ からえっとまそれと地盤変動ですねこれが 歪とえ傾斜と歪の記録あ傾斜ですね傾斜の 記録なんですけどもま1時間ぐらいの間で ですね非常に大きな盤変動これのま大きな という意味はですね通常の爆発がきる時の 変動に比べて300倍大きい変動が起きて いますそしてこれがインサの解析結果で これ橋本先生に計算してもらったんです けどもまこういう大きな流記2つの目玉が あってそしてgnssで見ると北西南東 方向に引き裂かれるつまりここのところに え大工が入ってきたという風に考えてるん ですがこういうことがあったわけですねで こういうその観測の活発あ活動の活発が あって気象庁は噴火警戒レベル 読んでえ警戒をするする範囲に3kmに 拡張したわけですでこの時に対象になる 地域えっと集落っていうのは有村と古田と いう2つの集落であったわけですでところ がですねこの黒神ちのが東にあるんです けどもこれはこの3kmの外側ですただし この3kmの外側なんですけどもその昭和 加工の時代にはこっちの東の方に火災流が よく出ていったので私は鹿児島市にえその 黒髪も避難させるように助言をしましたで 今度は気象庁には言わなかったわけですで それは口選ぶで懲りていたのでこいつに あの気象庁に言ったってどうしようもねえ だろうとじゃあ要するに避難させるのは 鹿児島市だから鹿児島市に直接言えばいい ということなんですねですからやっぱり 意思決定者に直接言うっていうのがですね やっぱりすごい私はあのメリットであると いうことを学びまし たでま実際に鹿児島市はですねこの有村町 ふさ町そして黒神町含めですねまあ77人 が避難させるということがにえ成功した わけでありますでそうしますとですね やっぱりハザードを考えるっていうのが 要するに非常に大事でですねやっぱりこれ えっと2016年からあの始まってます次 世代火山研究事業の中でですねまリアル タイムの火山バイオハザード評価手法って いうのをあの住宅して研究していますで これは従来の火山に比べてですねやっぱり ですね気象学の知見といういうようなもの をですね入れないと要するにこの火山バの 拡散のハザード火山バのハザードっていう のはあのやっぱりやりきれないわけです ですから要するに従来の火山観測の限界で さらにやっぱり広く広げれてですね例えば レダについてはマ先生にお願いしてますし それからその風速場のですね公成再開ち いうことについてはですね武見先生にお 願いしてやりましたしそれからま特にこの テフラリスクのかですねこの辺は丸山先生 にやっていただいたんですけどまある意味 要するに防災権の中でもですね今まで 要するに風の研究者が要するにやってい なかった人とですねやっぱり連携して協力 しながらですねやらないと要するに先に 進めないということになってきたわけです それでないとやっぱり次のやっぱり ハザードの研究は進められないだろうと いう風に思ったわけですねでこれ非常に うまくいってい ますで最後になりますけどもそれをさらに 拡張していったのが火山防災連携研究 ユニットであってですね1つは要するにま 従来の火山活動研究センター桜島火山観測 所がやってるのはここのところですで つまり観測をやりながら要するに火山噴火 の発生予測をやって生ぜこれぐらいです ただしこれ火山災害を要するに火山災害 って複合性が極めて高い災害なので おそらくその上にはそのハザードの予測 それからあリスクの評価そして対策の研究 というやつをですねこれはやっぱり一期 痛感的にやらないとですねやっぱりこれは もうやっぱり火山災害の防止には絶対なら ないだろうという風に思ったわけですね ですからまこういう風にしてですねまこの 火山防災連携研究ユニットさらに発展して 火山防災センターにえまあの多分中北先生 やってくれると思ってるんですけども やっぱりあの他のやっぱり従来の観測を 中心とした花壇だけではもう限界でさらに 要するに他の人と連携しながらちゃんと やっていって初めて要するに災害の経験に あの貢献していくということがですね できるんだろうという風に思いましたそれ で最後にですねこれまあ43年間皆さんに お世話になりましたということなんです けどもま私自身はですね実際に本当にあの 理学部卒業してですねすぐにその桜島に 放り込まれたような人間でですねでまとも なあの教育受けていませんほとんど大学院 な2ヶ月しかいなかったのでそれで観測書 でろなことを教えてくれるわけじゃないん ですね加茂先生にあの教えてもらったのは 酒の飲み方と事務官との付き合い方これ しか教えてもらってないですでまよくぞ 要するにここまであのま私はよくぞここ までやってこれたなと要するに今から思う とですねそういう風に思うわけであります でまやっぱりやってこれれたっていうのは ですねやっぱりあの加茂先生それから石原 先生それからその観測書のですね先輩後輩 に支えながらえ来れたということととです ねそれからやっぱり防災研究所はですね やっぱりあの各地施設に対して非常に 温かいですでやっぱりいろんな方に支え られてま火山防災連結研究ユニットって いうのがそれの典型だと思ってるんです けどもやっぱり支えられてきたということ がですね非常に私にたとっては励みになり ましたしですねここまで続けてこれたと いう理由だと思いますいや本当にあのお 世話になりましたどうもありがとうござい ました [拍手]
令和5年度 京都大学防災研究所 研究発表講演会
2024年2月22日・京都大学宇治キャンパス
★当日のプログラムや要旨など、詳細は下記からご覧になれます。
https://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/hapyo/24/index.html
★所属・役職・内容は動画制作当時のものです。
#京大防災研 #退職記念
