口頭弁論のため、最高裁に向かう小島喜久夫さん(右)と妻の麗子さん(29日、東京都千代田区で)口頭弁論のため、最高裁に向かう小島喜久夫さん(右)と妻の麗子さん(29日、東京都千代田区で) 旧優生保護法(1948~96年)に基づく強制不妊手術を巡り、29日に最高裁大法廷で開かれた5件の国家賠償請求訴訟の口頭弁論では、札幌市の小島喜久夫さん(82)も原告の一人として意見を述べた。「手術をされなかったら、幸せな家族を持てたのかな」。そう声を震わせる小島さんを15人の「憲法の番人」が見つめた。

(岡絃哉)■何度も弱音 「怖いよ、不安だよ」。口頭弁論を前に取材に応じた小島さんは、何度も弱音を口にしていた。2審・札幌高裁で逆転勝訴し、1650万円の賠償が認められたにもかかわらず、だ。 手術の被害者による裁判では、不法行為(強制手術)から20年で賠償請求権が消滅すると定めた旧民法の「除斥期間」を適用するかが争われており、最高裁が条文通りに適用すれば2審判決は取り消される。そして、全国で係争中の被害者も敗訴が濃厚になることを意味する。小島さんは、その重圧に押しつぶされそうになっていた。 小島さんたちが最高裁で勝訴するには、2審と同じく「除斥期間の適用は著しく正義・公平の理念に反する」との判断を得なければならない。一方、除斥期間の例外が最高裁で認められたのは過去に2件だけ。「難しいことは分かっている。だから、自分もできる限りのことをする」。失われたものの大きさを端的に伝えるため、小島さんは弁護団と共にA4判2ページの原稿を練り上げた。この1か月間は毎日1回、重圧に耐えながら原稿を音読して「本番」に備えてきた。■途中から涙 この日、午後2時過ぎに始まった小島さんたちの口頭弁論。弁護団に続き、小島さんがマイクに向かう。 精神疾患だと決めつけられ、19歳で手術を強いられたこと。家族との縁が薄く、妻の麗子さん(81)と結婚して初めて「ふるさと」ができたと思えたこと。麗子さんとの生活が壊れてしまわないよう、手術の事実を隠し続けたこと……。 原稿は冷静に読み上げるつもりだったが、悔しくて、悲しくて、途中から涙が止まらなくなった。 「子供ができていれば、人生は変わっていたと思います。今より幸せかもしれませんし、不幸になったかもしれません。それでも、幸せになるか不幸になるかは自分で決めることです。自分で自分の人生を決めたかった」。すすり泣きの声は、いつしか傍聴席にも広がっていた。 最高裁の判決は今夏にも言い渡される見通しだ。小島さんには、15人の裁判官が必死に耳を傾けてくれているように見えたという。結審後の記者会見も終え、自然とこんな言葉が出た。「もう不安はありません」同意なく手術 道内2593人強制不妊手術の実態に関する国会の調査報告書(昨年6月公表)によると、1949年から手術の根拠条文が削除された96年までの間、全国で2万4993人に不妊手術が行われた。このうち本人の同意を得ていなかったのは1万6475人。道内では2593人が同意なしの手術を受けており、これは47都道府県で最も多い人数だという。 2019年には被害者救済法が施行され、1人当たり320万円の一時金が支払われることになった。ただ、手術の事実を周囲に知られたくないと考えたり、知的障害などの影響で手術を受けた認識自体がなかったりする被害者も多いといい、今年4月末時点の受給者は全国で1102人、道内は89人にとどまっている。 裁判を起こすとなるとハードルはさらに高まり、道内の提訴は小島さん以外に2件あるだけだ。◇陳述の全文は以下の通り。 小島喜久夫です。 本年で83歳になります。 私には、「ふるさと」がありません。 私は小さいときに、農家にもらわれました。 小児マヒがあり、親からはきょうだいができてから差別されました。学校では友達に随分いじめられました。 子供の頃には、良い思い出が一つもありません。 19歳のときに無理矢理、○○病院(※法廷では実名を朗読)に入れられました。 一生子供が持てないことに絶望し、○○病院を恨み続けました。 私は、昭和41年(1966年)からタクシーの運転手をしていました。 子供連れの家族を円山動物園(札幌市)まで乗せることもありました。 私も手術をされなかったら、幸せな家族を持てたのかなと、何度も泣きました。 妻と一緒になって、初めて心の底から幸せだと思いました。 私にも、「ふるさと」ができました。 しかし、妻に手術のことは言えませんでした。 妻に「子供ができないね」と言われるたびに、「おたふく風邪で子供ができないんだ」と嘘をついていました。 本当のことを言えば、幸せな生活が終わってしまうと思いました。 初めてできた「ふるさと」を失ってしまうと、怖かったからです。 手術のことは、私の心の中で一生つきまといます。 子供ができていれば人生は変わっていたと思います。今より幸せかもしれませんし、不幸になったかもしれません。 それでも、幸せになるか不幸になるかは自分で決めることです。自分で自分の人生を決めたかった。 それができなかったことが悔しいです。 どんな判決でも私たちの人生は元には戻りません。 せめて国が間違っていたことを認めてください。 もう二度と同じようなことがないようにしてください。