笠谷さんのお別れの会で、黙とうをささげる出席者笠谷さんのお別れの会で、黙とうをささげる出席者 「日本中に夢と希望と感動を与えてくれたジャンプ界のレジェンドだった」――。1972年札幌冬季五輪スキージャンプ70メートル級金メダリストで、4月23日に80歳で亡くなった笠谷幸生さんのお別れの会が26日、札幌市の札幌オリンピックミュージアムで開かれ、スキー関係者や往年のファンらが別れを惜しんだ。(佐藤雄一)

 お別れの会は「天上への離陸を見守る会」と題して2部制で開かれ、第1部には、札幌五輪でチームメートだった益子峰行さん(81)や全日本スキー連盟副会長の原田雅彦さん(56)、親交のあった歌手の松山千春さん(68)ら約110人が出席した。笠谷さんに憧れて競技を始めたという原田さんは「物静かな方だったが、一言一言に重みがあり、いろんなことをスキーに生かしたことを思い出す」としみじみと語った。 式の途中には、笠谷さんと長年付き合いがあった関係者が、現役時代に笠谷さんが猫のジャンプを観察してフォームの参考にしたり、少年時代に余市の海で素潜り体験をした際の呼吸法を競技に生かしたりしていたエピソードを紹介した。その後、札幌新川高の吹奏楽部員が札幌五輪のテーマソング「虹と雪のバラード」などを演奏する中で献花が行われた。 第1部終了後、多くの出席者はリフトに乗って近くの大倉山ジャンプ台に上り、札幌市街地が一望できる場所からジャンプ界の重鎮をしのんだ。◎ 一般向けの第2部では、ファンや道内のジャンプ少年団のメンバーら約210人が献花に訪れた。笠谷さんの金メダル獲得をきっかけに創設された余市ジャンプ少年団のメンバーで、余市紅志高2年の桜井羽奈さん(16)は、冬場のみ利用できる地元のジャンプ台「笠谷シャンツェ」を使って練習している。桜井さんは「偉大な先輩。感謝の気持ちと、これから自分が頑張るという思いを込めて手を合わせた」と語った。笠谷さんのお別れの会に出席後、報道陣の取材に応じる原田さん(右から2人目)ら長野冬季五輪スキージャンプ団体金メダリスト(いずれも26日、札幌市内で)笠谷さんのお別れの会に出席後、報道陣の取材に応じる原田さん(右から2人目)ら長野冬季五輪スキージャンプ団体金メダリスト(いずれも26日、札幌市内で) お別れの会には、原田さんを含む1998年長野五輪ジャンプ団体の金メダリスト4人が勢ぞろいした。笠谷さんがゆかりのある余市町出身の船木和喜さん(49)は笠谷さんとの思い出を振り返り、「独立してプロの道を歩み始めた頃に、『人に言われるのではなくて自分で行動しなさい』との言葉をもらった」と懐かしんだ。 笠谷さんと同じ余市高(現・余市紅志高)卒の斎藤浩哉さん(53)も「ジャンプの魅力を教えてくれたのは笠谷さん。笠谷さんが残した教えを後輩たちに伝えていければ」と語った。 札幌五輪の時は1歳だった岡部孝信さん(53)は「映像を子供の頃から見ていたこともあって、実際にその時見ていた(ような)感覚になっている」と語り、当時の笠谷さんの映像を改めて見て「いまでも通用するんじゃないかっていうジャンプ。笠谷さんの遺志をつないでいけるように頑張っていく」と話した。

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