淳次さん(右)と初めて対面する高橋さん(昨秋、茨城県常総市で)=薩摩藩英国留学生記念館提供淳次さん(右)と初めて対面する高橋さん(昨秋、茨城県常総市で)=薩摩藩英国留学生記念館提供 薩摩藩が幕末に英国へ密航留学させた使節団の1人で、旧日本海軍の教育の発展に貢献した松村淳蔵。茨城県内で暮らすひ孫と、大学の卒業論文で松村を取り上げた福岡県太宰府市の女性が卒論を機に長年、手紙や電話でやり取りを続けてきた。この交流も踏まえて鹿児島県いちき串木野市の記念館が開催している松村の企画展をきっかけに、2人は30年の時を経て初対面を果たした。(小川晶弘)

書籍もとに手紙 「あの頃は本当にありがとうございました」。同市にある薩摩藩英国留学生記念館のシアター。太宰府市の学芸員高橋史子さん(53)が茨城県内で松村のひ孫の淳次さん(96)と会い、涙ながらに頭を下げる映像が流れていた。淳次さんはほほ笑みながら、「30年以上前だものね」と応じていた。
 京都女子大で日本史を専攻していた高橋さん。明治維新に関心があり、薩摩藩の使節団を卒論のテーマに選んだ。取り上げたのは、実業家になった五代友厚や、初代文部大臣の森
有礼(ありのり)
らではなく、あまり知られていない松村。渡航目的だった海軍測量術の修学を貫き、本名を隠すために藩から与えられた「変名」を生涯使い続けた姿にひかれた。
松村淳蔵=薩摩藩英国留学生記念館提供松村淳蔵=薩摩藩英国留学生記念館提供 ただ、松村の資料はほとんど残っていなかった。記念館によると、帰国後の功績に関する資料だけでなく、人となりが分かる手紙や日記も確認されていないという。探しうる資料に限界を感じた高橋さん。1993年11月、華族の子孫の住所などが載った書籍をもとに淳次さんに手紙を送った。 「知っていることが役に立つのなら」。淳次さんから数日後に返事が届いた。約1か月間で3、4往復やりとりした。▽海外にいて新政府樹立時の混乱を経験しておらず、新体制のもとで要職に起用されなかった▽変名で通していたことを堅物だと人々に疎まれた――といった考えが書かれており、長いものは原稿用紙9枚に及んだ。 卒論の複数箇所で手紙を引用。担当教員からは「子孫に取材して反映させたのはあなただけ」と褒められた。お礼として淳次さんに卒論の複製を送った。「奇跡の関係」 1 2

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