評・鵜飼哲夫(読売新聞編集委員) ああ、むなしい。ため息をつく。ふられた。降格。裏切り。年とったなぁ、以前のように動けない……。

『センスの哲学』千葉雅也著

 むなしさの語源は「みなし」という。果実の実がない、中身がない、味がない。だから通常、人はむなしさを忌避し、忘れようとする。 これに対し、京都の医科大学生時代にフォーク・クルセダーズを結成、「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたものの、ファンに期待される「自分」と、本当の「自分」は違うのではないか、とむなしさを覚えた著者は言うことが違う。後に精神分析学を専門とする開業医となり、大学教授、学長となった経験を踏まえ、心の空洞を急いで埋めようとSNSで都合の良い情報ばかりを集め、誇大的な妄想に浸ることは新たな幻滅を生むだけと指摘する。 そして誰もが生きている限り逃れられない、人それぞれの「むなしさ」をじっくり味わうことが、新たな自分の発見やクリエイティブなものを生み出す契機になるという。 キーワードは、ゆっくり、ゆったり、ゆとり、ゆるすの「ゆ」。読めば、「むなしさ」という言葉が、いい感じに見えてくる。(岩波新書、1012円)

読書委員プロフィル

鵜飼 哲夫(
うかい・てつお

 1959年生まれ。83年に読売新聞に入社。文化部記者として文芸を主に担当。現在、編集委員。著書に『芥川賞の謎を解く』や『三つの空白 太宰治の誕生』がある。