フォーラムで「気軽に補聴器を使ってほしい」と話す野田さん。会場では耳が遠い人のために発言の字幕が映し出された(福岡市で)フォーラムで「気軽に補聴器を使ってほしい」と話す野田さん。会場では耳が遠い人のために発言の字幕が映し出された(福岡市で) 九州大などのチームが、難聴児の発達支援や社会参加を目指す研究に乗り出している。チームを率いるのは、「高度難聴」を抱える九大病院助教の野田哲平さん(45)。周囲の無理解に苦しんだ幼少期の経験を踏まえ、「聞き取りにくさがある子どもたちに早く気づき、社会全体で難聴児を支える仕組みを構築したい」と意気込む。(中村直人)

 幼い頃から複数人での会話が聞き取りにくかったが、身近に聴覚障害者はおらず、気に留めていなかった。長崎県佐世保市で通っていた小学校の授業はいつも最前列。教室内で遠くにいる級友が発言しても内容が分からず、「教科書だけで勉強していた」。学級会では聞こえたふりをしていた。 難聴が分かったのは10歳の頃。長崎大病院(長崎市)での検査で「中等度から高度の難聴」と診断された。学校ではたびたび、「聞こえ」のことをからかわれた。 中学校の英語の授業では「kitchen(台所)」という単語が発音できず、教員から「何でできないの」と冷たい態度をとられた。「『聞こえないものは話せない』という基本的なことですら理解してもらえず、つらかった」と振り返る。 1 2 3

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