乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で
瀕死(ひんし)
の重傷を負った兵庫県西宮市の鈴木順子さん(49)が、リハビリの一環で取り組んできた陶芸の作品展を来春に開催する準備を進めている。後遺症で思うように動かない体を使い、皿や置物など約100点を制作。鈴木さんは「事故後の人生の歩みを知ってほしい」と話す。25日で事故から19年となる。(神戸総局 上田裕子)
大皿に絵付けをする鈴木さん(21日、兵庫県西宮市で)=枡田直也撮影
2007年頃、事故後に初めて作った作品。手があまり自由に使えない状態で制作し、陶器の厚さは現在の2倍ほどだ
後遺症抱え 自宅のガレージを改装した陶芸工房で21日、鈴木さんは絵筆を手に大皿(直径約45センチ)に向き合っていた。クマノミの群れをイメージしたカラフルな一品で、作品展の目玉にする予定だ。 2時間弱かけて筆で色を付けた鈴木さんは「こんなに大きな作品は初めて。色塗りの範囲が広くて大変だけど、一生懸命頑張ります」と笑顔を浮かべた。 イラストレーターを目指していた鈴木さんはあの日、大阪に向かうため、脱線した快速電車の2両目に乗り、事故に巻き込まれた。
約6時間後に救出されたが、脳や
脾臓(ひぞう)
を損傷し、生死の境をさまよった。意識を取り戻したのは、約5か月後。「お母さん……」と小さな声でつぶやいた。水泳などのリハビリに取り組んだものの、右半身にまひが残り、高次脳機能障害で記憶力も落ちた。
生きがい リハビリを始めた頃の様子を、母親のもも子さん(76)はよく覚えている。丸めた新聞紙を手で広げる、たったそれだけのことがスムーズにできなかった。「この子は何もできなくなってしまったんだ」。ショックを受けたが、「この子が持つ才能を発揮して生きがいを感じてほしい」と勧めたのが、事故前から趣味にしていた陶芸だった。 右手が自由に使えず、物が二重に見える後遺症もあり、土をこねるだけでも負担が大きく、時間がかかった。最初の作品が仕上がったのは2007年頃だったという。その後は持ち前の美的感覚を発揮して一つ一つ作品を作り上げてきた。工房には、自身の名前を示す「JUN」の文字を記した皿やマグカップが並ぶ。 21年から、近所の人たちを交えて陶芸家を講師に招いた陶芸教室を毎月、工房で開いている。講師から「順子さんは一人の作家として、色んな作家とつながっておくべきだ」と作品展の開催を勧められた。「いつまでも残る」 作品展は、事故から20年となる25年4月に開催し、タイトルは「順子とその仲間たち」とするつもりだ。これまで2回、地元の飲食店で個展を開いたが、次回の作品展は、兵庫県宝塚市の市立文化芸術センターを会場にした大規模なものになる。鈴木さんや家族らは「事故後の人生の集大成」と位置付けている。 もも子さんは「今の順子は、事故直後の姿からは想像できない。多くの人に巡り合い、支えてもらったおかげ。その感謝を伝える展示会にしたい」と話す。 鈴木さんは「事故の後遺症で記憶は長く続かないが、作品はいつまでも残る。事故後、どのように生きてきたかを多くの人に見てもらえればうれしい」と張り切っている。◆JR福知山線脱線事故=
兵庫県尼崎市で2005年4月25日午前9時18分、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が制限速度を大幅に上回る時速約116キロでカーブに進入し、脱線して線路脇のマンションに激突。乗客106人が死亡し、562人が重軽傷を負った。事故を巡り、JR西日本の歴代社長4人が業務上過失致死傷罪に問われたが、いずれも無罪が確定している。
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