地震の影響で瓦屋根が大きく倒壊し押し潰された住宅。(安田菜津紀撮影)
雲り空でも、外にいればすぐに汗が噴き出す。7月28日、八代市は震度6強の地震に見舞われ、とりわけ酷暑と断水の影響が深刻だ。発災から約10日が経った現地を取材した。
「大きな揺れがあったとき、利用者さんたちはちょうど早めの夕食をとっていました」
高齢者施設などを運営するシラサギに勤務する羽場希理さんは、入居施設内の当時の映像を見せてくれた。体が椅子から投げ出されるほどの揺れと混乱の様子が、まざまざと映し出されていた。
井戸水や上下水道が使えなくなった施設からは、辛うじて水の確保ができる施設へと、すぐに入所者らの移送が始まった。近隣の住民の手を借りたり、SNSで給水ボランティアの情報を集めながら、数日をしのぐ。食料や水が手に入る施設でも、利用者への心理的な影響は表れているという。
「地震が来るときって地鳴りのような轟音がしますよね。だから敏感になっている方は、車のドアを閉める『バンッ!』という音にも反応したりします。デイサービスに通所して来られる方は、道中の送迎車からの景色が様変わりしているのを目の当たりにすることになります。『ここはみんながいるから安心だけどお家に帰るのが怖い』という声もありました」
入所者・通所者はもちろん、今後欠かせないのはスタッフを含めたケアだという。この法人では約20人の技能実習生も現場にいる。
「実習生の寮には断水しているところもあり、本社近くの別の寮に集まってもらったりもしていますが、『夜が怖い』という声もよく聞きます」
来日して3年というネパール出身の技能実習生、タマン・シアラさんは、出身地でもここまで巨大な揺れは経験したことがなかったという。
「あの日はちょうど休日の買い物中でした。スーパーの棚のものが全部床に落ちてきて、とっさに『もう自分の国に帰れないかもしれない』と考えてしまったほどです」
こうした非常時を異国で生きながら、自らも高齢者のケアにあたる。利用者たちが「怖かった、怖かった」と訴えてくれば、「怖かったですよね」と共感し、「大丈夫ですよ」と声をかける。なるべく“普段通り”を心がけながら接しているという。

ネパール出身の技能実習生タマン・シアラさん。(安田菜津紀撮影)
10年前の熊本地震が起きた2016年の末時点では、県内の外国人人口は1万人強ほどだったが、2026年には3万2000人を超えた。TSMC(台湾積体電路製造)の進出に伴い台湾出身者が約2千人になったことに加え、技能実習や特定技能での在留増加が背景にあるとされる。八代市には2026年6月時点で、技能実習生が2049人、特定技能1561人いるとされる。
多様なルーツ・宗教バックグラウンドの人々も共に食事を囲めるようにと、遠方から支援に駆け付けた人たちもいる。
避難者が身を寄せる代陽コミュニティセンターの駐車場には、スパイスの豊かな香りが漂っていた。シリア出身で、富山ムスリム・センター代表のサリム・マゼンさんらが、他団体と協働し、野菜が不足しがちな被災者に美味しく食べてもらおうと、豆などがたっぷりと煮こまれたカレーを準備していた。
「地震のニュースを見て、行くか行かないか、ではなく、いつ行く?とすぐに仲間たちと相談が始まりました」というサリムさん。ワゴン車を走らせ、16時間かけて現地入りしたという。「家の片づけをしていたけれど、カレーがあるって聞いて戻ってきた」と、避難者のひとりは声を弾ませた。

富山ムスリム・センターのサリムさんたち。(安田菜津紀撮影)
8月5日から7日にかけて各所で活動を行い、ふるまったのはどれも、宗教上の理由があっても食べられるハラール・メニューだ。
「私たちのカルチャーでは、みなで一緒に食事ができることを大切にしています。私も、あなたも、みなで食べられるようにと、メニューを考えました」
「みなで一緒に食べられるように」——この言葉の意味を滞在中反芻していた。被災地には様々な支援者が入り、被災者を支えていたが、迷惑行為を繰り返してきた「インフルエンサー」で地方議員を務める人物が炊き出しの様子を投稿し、中身が豚肉であることを繰り返し強調した。同人物のこれまでの差別的発信、行為から、ムスリムの人々が食べられないものを「あえて」選んでいることは明らかだった。こうして扇動されたヘイトの影響が、支援にも影を落とすことが懸念される。
熊本市内にある「熊本イスラミックセンター」は、イスラム教のモスクとして2013年に開所され、10年前の熊本地震でも被災者支援の拠点となった。インドネシア出身で、運営責任者のマーロ・スイスワヒュさんは、発災直後から物資を届けて回っていた。

熊本イスラミックセンター。(安田菜津紀撮影)
「ただ実は……避難所運営側に『熊本イスラムセンターから物資を持ってきました』と電話すると、『結構です、足りています』と断られたことがありました。しかし、『外国人支援団体ですが』と電話すると、『助かります、すぐ来てください!』と言われる。今回も同様の事態が起きています」
イスラモフォビア(※)はネット上に蔓延しており、巡りめぐってそれが支援現場への支障となってしまう恐れもある。同時にマーロさんたちは、外国人に対するフェイクニュースや偏見を煽る投稿にも対処しなければならなかった。
(※)イスラモフォビア:イスラム教や、その信者であるムスリムに対する、理不尽な恐怖感や、強い嫌悪、偏見、差別のこと。
「例えば、『インドネシア人がコンビニの商品をケースごと盗んだ』という動画がSNSで拡散されました。すぐに動画の本人を特定して事実確認をしたところ、完全なデマだと判明しました」

熊本イスラミックセンターの礼拝堂内でマーロさんにお話を伺った。(安田菜津紀撮影)
NHKでもファクトチェック
をしているが、動画の場所は「フジパン」熊本工場の駐車場で、会社側は「食料品はコンビニエンスストアに納品できないため従業員に配布したもので、盗難の事実はない」と答えている。
「他にも、雇用主や監理団体などから十分な支援を受けられず、近所の日本人から分けてもらったお米に塩だけかけて食べてしのいだり、ケガを負ったのに出勤するよう強いられている実習生などから、支援の要請がいくつも届いています」
一方で、心に残る支え合いもあったとマーロさんは語る。
「発災直後、ベトナム人のコミュニティが水やガスボンベ、食料などを持ち寄り、被災したインドネシア人のコミュニティにも配ってくれたのです。 『仲間だから使って!』と。国籍やコミュニティを越えたこうした助け合いには本当に深く感謝しています」

ベトナム人ボランティアからの飲料水支援に感謝するインドネシア語のSNS投稿画面。(安田菜津紀撮影)
「外国人の人数が増えていることもあって、それぞれのエスニックコミュニティのネットワークが強くなっているようにも思います。今回も在熊本ベトナム人協会がすぐに支援に入ったり、各コミュニティで情報交換や支援を行っています」
そう語るのは「コムスタカ―外国人と共に生きる会」の事務局長、佐久間順子さんだ。団体としても現在、ニーズの把握に努め、今後の支援に備えているが、被害実態のつかみづらさを元代表の中島眞一郎さんは指摘する。
「家が潰れたり、避難所に行かざるを得ない人もいると思いますが、多くは自分たちの寮や会社の施設で待機していたり、車中泊をしたりして、点在していると思われます。どこでどういう状況に置かれているか、行政にはほとんど見えていない恐れがあります」
被災者には今後、様々な手続きが待っているが、外国人にとってのハードルの高さを佐久間さんは懸念する。
「物資や炊き出しはある意味で見えやすいものですが、罹災証明や見なし仮設入居など、経済的な支援は“申請”が必要となります。前回の地震の後も、『申請していいのか分からない』知らなかった』といった声もありました。多言語情報があっても、実際に申請窓口まで行き着けるか、それを雇用先や監理団体が十分にサポートするかどうかが問題です」

「コムスタカー外国人と共に生きる会」の中島眞一郎さん(左)と佐久間順子さん。(安田菜津紀撮影)
先述の通り、災害時にはヘイトやデマも拡散される。一方、地域にとっては外国人がなくてはならない存在になりつつあると中島さんは語る。
「今回の地震でも、ベトナム人の技能実習生が犠牲になっています。災害は国籍を選ばない。一方で、八代で倒壊した家から日本人高齢女性を、近所のベトナム人5人が救出したという報道もありました。日ごろ顔が見えて挨拶を交わしていた関係があったからこそでしょう。災害時には日常が顕在化します。避難所の運営にも若い実習生たちが携わるなど、高齢化が進む地域で不可欠な存在になっています」
さらなる問題は、その先だ。在留手数料を大幅に引き上げる法案が成立し、10月から在留資格の変更や更新を1万〜7万5000円とする政令案が公表されている。雇用先によっては外国人本人がこれを負担するが、被災者に減免措置が適用されるか、方針は定まっていない。また、被災した農家や工場が再開できなければ、転籍はできるのか、そのサポートを十分に受けられるのかなど、先行きは不透明だ。
「今日本は円安もあり、東南アジア諸国からも“選ばれない国”になりつつあります。共生とは真逆の外国人政策が進められる中、多くが帰国するか他県に移るしかなくなれば、地域の衰退は加速し、その地域から食料などを供給されている都市部にも影響が出るでしょう」
災害時に蔓延するヘイトとは対照的に、救援や支援活動に携わる外国人の存在も報道され、そのニュースにさらなる差別投稿が量産される、ということがこの間繰り返された。まず当然のこととして、ヘイトスピーチの蔓延には抗っていかなければならない。同時に、「危険な外国人」というデマと、「良き外国人」の強調という二極化が気がかりだった。自ら近隣住民を支えようと動いた人々には改めて敬意を表したい。同時に、具体的な行動ができない人であっても、「良き外国人」という社会の求める像に当てはまらないと見なされた人であっても、誰しもに守られなければならない人権がある。今後の支援や復興の土台に、恣意的な線が引かれないことが重要であるはずだ。
Writerこの記事を書いたのはWriter
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
このライターが書いた記事一覧へ
あわせて読みたい・聞きたい
本記事の取材・執筆や、本サイトに掲載している国内外の取材、記事や動画の発信などの活動は、みなさまからのご寄付に支えられています。
これからも、世界の「無関心」を「関心」に変えるために、Dialogue for Peopleの活動をご支援ください。
寄付で支える
D4Pメールマガジン登録者募集中!
新着コンテンツやイベント情報、メルマガ限定の取材ルポなどをお届けしています。
公式LINEを登録しませんか?
LINEでも、新着コンテンツやイベント情報をまとめて発信しています。
友だち追加
