【現代死生考】品川富士から復活した目黒富士まで、インバウンドで混み合う富士山とは違った登山が楽しめる
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鵜飼 秀徳
作家・正覚寺住職・大正大学招聘教授
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2026.7.23(木)
北品川の第一京浜沿いにある品川富士(撮影は著者、以下同)
梅雨が明け、富士登山の本格的なシーズンを迎えた。富士山は2013(平成25)年に世界文化遺産へ登録されて以降、国内外から登山者が押し寄せるようになった。近年はインバウンドの登山者が著しく、弾丸登山や混雑、ごみの問題が深刻化している。
いつの時代も日本のシンボルだが、実は東京都内にも「富士山がいくつも」あるのをご存知だろうか。それを「富士塚」という。
なんじゃこりゃ──。ノンフィクション作家の井上理津子さんは富士塚を初めて見たとき、心の叫びを上げたという。井上さんの近著『東京で驚いた』(光文社)の冒頭で取り上げられているのが、この富士塚である。
井上理津子著『東京で驚いた』(光文社、1980円) 『さいごの色街 飛田』など大阪の表裏を書いてきた筆者が、十数年前に移住した東京での生活の中で出会った違和感や驚きを起点に、都市の中に息づく文化や歴史を東西を比較しながら掘り下げていくルポエッセイ。日常の中でふと目にしたものを「なんだこれは」と立ち止まって見つめ、その背景を調べ、人に話を聞き、体験しながら理解を深めていき、東京と大阪という歴史と文化をもつ巨大都市のそれぞれの多層性を浮かび上がらせる。
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井上さんは、外出先の近くに富士塚があると、つい足を延ばして立ち寄ってしまうという。実は、筆者もその一人。京都に暮らす身だが、東京に出るとしばしば富士塚を訪ねてきた。これまでにいくつかの富士塚に登っており、富士塚を愛する者にとって、富士塚の歴史や信仰を紹介した本は少なく、待ち望んだ一冊といえる。
富士塚とは、富士山を模した人工の小山である。わざわざ富士山麓の黒い溶岩を持ってきて、数〜15メートルほど積み上げている。1合目から9合目までの標石を置き、頂上には富士浅間神社を祀る。登山道には、烏帽子岩や胎内洞穴といった実際の富士の名所までも忠実に再現している。この塚に登れば、本物の富士に登ったのと同じご利益(霊験)が得られるとされてきた。
富士山の溶岩が剥き出しの登山道と合目石
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富士塚がつくられたのは、江戸中後期から昭和前期にかけてである。主に東京を中心とする関東一円に分布し、最多で100基以上(数百基という説も)がつくられたという。だが都市化などで壊されたり、移転したりして、現存するのは50数基とみられるが、詳しいことはわかっていない。
富士塚を築いたのは、塚のある地域の「富士講」である。「講」とは、信仰共同体のことだ。富士講だけでなく、伊勢講(伊勢詣りをする講)、高野講(高野山詣りをする講)、地蔵講(地蔵菩薩を祀る講)、念仏講(定期的に念仏会をひらく講)など、さまざまな講が存在した。しかし、講は都市部ではほぼ壊滅し、富士講も例えば江戸川区では一つだけになっていると、井上さんは指摘している。
