SOCIETY
4min2026.7.20
「白いローブから黒いローブをまとっただけだ」

Text by Edward Luce
米国で最も著名な死刑囚弁護士であり、最も有能な社会活動家とも称されるブライアン・スティーブンソン。彼が活動の拠点として選んだのは、かつて国内奴隷貿易の中心地として栄え、公民権運動の舞台ともなったアラバマ州モンゴメリーだ。
英紙「フィナンシャル・タイムズ」のエドワード・ルース記者は、この南部の街で彼とランチをともにした。米国の人種差別をめぐる歴史と司法、そして希望をめぐる対話が始まった。
この記事は1回目/全3回
奴隷制の記憶が刻まれた街
ブライアン・スティーブンソンと会う前の朝、筆者はモンゴメリー中心部にある「レガシー・ミュージアム」を訪れた。大西洋を越えた奴隷貿易から、人種隔離制度「ジム・クロウ」、そして今日の大量拘禁時代へとたどる展示は、多くの米国人が知らずにいた自国の歴史を突きつけてくる。アラバマよりはるかに遠くから訪れる人々も多い。これほどの衝撃を残す博物館はそうはない。
待ち合わせ場所は「アヤ」。アフリカの植物の名を冠したレストランで、ディープ・サウスならではの料理が並ぶ。ここはスティーブンソンが設立した非営利団体「イコール・ジャスティス・イニシアティブ(EJI)」が所有する「エレベーション・コンベニング・センター&ホテル」の一角にある。丘の上からモンゴメリーを見下ろす立地で、アラバマ州議会議事堂がすぐそこにそびえている。
ホテルの向かいにはモンゴメリー広場があり、スティーブンソンの新たな展示スペースがつい最近オープンしたばかりだ。その中心にはローザ・パークスの彫刻がある。
1955年、パークスは白人乗客に座席を譲ることを拒否して逮捕された。その行動が13ヵ月に及ぶバスボイコット運動の口火となり、公民権運動を全米、そして世界へと知らしめた。彫刻は両手に、逮捕時に付された番号「7053」を掲げている。
「博物館はどうでしたか」。握手しながらスティーブンソンが尋ねてくる。感動を伝えると、彼はこう語った。
「1989年にここへ来たとき、この街には南部連合を称える記念碑や石碑が59もありました。でも『奴隷制度』という言葉はどこにも見当たりませんでした」
ハーバードを出て、死刑囚の弁護へ
茶色のジャケットにカーディガンとスラックス姿のスティーブンソンは、66歳には見えない若々しさだ。ふたりはレストランのプライベートルームに落ち着いた。ソウルミュージックとモータウンが静かに流れている。
スティーブンソンはデラウェア州南部の出身だ。一家で初めて合法的に高校へ通うことを許され、大学へと進んだ。ハーバードのロースクールを卒業後、アトランタで公民権関連の職に就いたが、間もなくアラバマ州の死刑囚への無償弁護の仕事に引き込まれていった。
死刑判決を覆すことは最も困難な法的挑戦であり、そのうえアラバマは最悪の戦場だった。同州の司法制度はいまもなお、露骨なまでに人種の壁を持っている。
2013年、スティーブンソンはアラバマ州公文書館に対し、国内奴隷売買の中心地となったモンゴメリーの歴史を後世に伝える取り組みを申請した。
「物議を醸しすぎると言われました。2013年ですよ」と彼は繰り返す。オバマ政権の第2期のことだ。スティーブンソンは諦めず、最終的に認められた。レガシー・ミュージアムと、ジム・クロウ時代にリンチで命を奪われた4400人以上を追悼する公園などがその成果だ。
ハリウッド映画のイメージとは異なり、ジム・クロウ時代のリンチは多くの場合、新聞で事前に告知され、白昼に、フードもかぶらない群衆の歓声のなかで行われた。理由は、白人女性にちょっと目を向けただけで充分だった。
隔離政策の後にやってきたのは大量拘禁の時代だ。米国の受刑者数は1970年代初頭の30万人から、今日では200万人以上に膨れ上がった。スティーブンソンが死刑から救った依頼人のひとり、アンソニー・レイ・ヒントンはこう表現したという。
「白いローブ(KKKの白装束)を脱いで、黒いローブ(判事の法衣)をまとっただけです」
人種差別は消えたのではなく、形を変えて司法制度の内側に入り込んだというわけだ。
南部連合の大統領とキング牧師が同居する州
スティーブンソンによれば、アラバマ州はいまも毎年4月の第4月曜日に「南部連合記念日」を祝い、毎年6月の第1月曜日には南部連合の大統領だったジェファーソン・デイヴィスを称える州祝日がある。デイヴィスは南北戦争の開戦当初、この街にあった南部連合のホワイトハウスに住んでいた。
そして1月には、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとロバート・E・リー将軍を合わせた記念日が設けられている。キング牧師の日は連邦の祝日だが、南部連合軍を率いたリーと同日に祝われているのだ。
「そしていま、トランプ政権は奴隷制度を守るために戦い、人を殺した将軍の名を軍事基地につけ直しています」とスティーブンソンは語る。
ウェイトレスのクインが屈託のない笑顔でオーダーを取りに来た。スティーブンソンはクリーミーな根菜のビスクとシーザーサラダを注文し、筆者はクレオール風エビとグリットのフリッターを選んだ。
飲み物は、ワインを勧めた筆者にスティーブンソンが丁重に断りつつ推した、地元名物のスイートティーにした。「ミス・エドナのビスケット」はふたりで分け合った。
ソルガムとさつまいものバターが添えられ、バターミルクのパンとの組み合わせは罪深いほどの美味しさだった。(続く)
「涙が頬を流れていました。食肉処理を前にした動物のようでした」
ブライアン・スティーブンソンは死刑執行に立ち会ったときのことを振り返る。英紙「フィナンシャル・タイムズ」記者との対談続編では、いまの米国への複雑な思いに迫る。
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